「湯川秀樹」の原稿を投稿します。原稿文字数は3615文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別、時代別のリライトをしてます。そして、私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1907年1月23日生まれ ~ 1981年9月8日没】
【↑_Credit:Wikipedia】
冒頭に紹介している本「旅人」は湯川秀樹の
自伝です。その湯川秀樹は朝永振一郎と同じ時代
を生きています。
互いに刺激しあう関係を築き、共に
時代のテーマに取り組んでいます。
伝記を読んでいくと湯川秀樹が情熱を持って
物理学に取り組んでいた様子が分かります。
色々な所で引用されているのですが
「アイデアの秘訣は、執念である。」
と湯川秀樹は明言しています。一見、
不可解な現象を紐解き、単純明快な原理を抽出
する仕事をしてきたのです。そもそも、
湯川秀樹の関心は物質の相互作用であって、
その世界は全く目に見えません。彼は
情熱で綿密に話を組み立てます。
重力・電磁力以外の微細粒子間の
相互作用を引き起こす「強い力」
に着目して議論を進めました。
湯川秀樹の時代には場の考えが発展
していく過程で原子の中での相互作用を
湯川秀樹は中間子という概念で紐解いたのです。
湯川秀樹のアイディアは「場を担う粒子」
という考え方です。そもそも、重力(万有引力)
を考えると二つの質点が存在した時に
その質点同士が互いを引き合い現象が説明
されます。この明快なモデルに反して、
「電子の数百倍の質量をもつ中間子の仮定」
は当時の観測とは別に設定されていて、
を求めていたと言われます。
最終的には1947年の英国物理学者セシル・パウエルによる「中間子観測」が契機となり、湯川秀樹はノーベル賞を受けます。「物理での概念確立の危うさ」を感じてしまう歴史です。理論的な要請と言えなくはないですが、辻褄合わせの為の概念は色々な角度から真剣に議論されなければいけません。別の言い方をすれば、その概念を磨き上げて納得のいく説明をすることが出来た時に「大きな仕事をした」と言えるのではないでしょうか。
湯川秀樹はボゾンの一つとして中間子を仮定して強い力を説明してみせたのです。
湯川秀樹の業績は京都大学の原子力研究を初めとして日本の物理学者たちに引き継がれています。
個人的なご縁としては私が幼少時代を過ごした東京板橋にあった理化学研究所の分室で教鞭をとっていたようです。少し時代がずれますが、私の故郷で彼が活動していたと思うと不思議な気持ちです。ノーベル賞受賞者の朝永振一郎もそこに居ました。最近までは、理化学研究所は本駒込にも拠点があり、今でもホンダ朝霞の近くに拠点があります。何故か、と調べを続けていったら埼玉県にある平林寺に創始者の一人である大河内氏の墓所があります。そんな、理化学研の霊的な側面を知って、私は何となく納得してしまいました。
また、湯川秀樹はラッセル=アインシュタイン宣言にも参加しています。以前のブログでもこの関連の話は盛り込んでいますが私は研究者が異議を唱えても社会が破滅的な兵器を作る現実を大変、問題だと思っています。アインシュタインであれ湯川秀樹であれアシモフであれ社会が叡智を集結して対応することを私は夢見ています。
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nowkouji226@gmail.com
2020/09/07_初稿投稿
2021/09/15_改定投稿
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