「チャドウィック」の原稿を投稿します。原稿文字数は1205文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1891年10月20日 ~ 1974年7月24日】
ジェームズ・チャドウィックは研究環境で恵まれていました。
マンチェスター大学の時代からラザフォードの指導を受け、
海外修業時代にはガイガーの下で放射線計測の知見を
積み上げました。開発されたばかりのガイガーカウンター
を使い放射線特性での実績をあげます。第一次大戦終了後は
ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で再び
ラザフォードの下で研究を続けます。ドクター修了後も
10年以上、ラザフォードの助手を務めていました。
キャンデビッシュ研究所での討論や助言は多分に
有益だったであろうと思われます。チャドウィック以外
にも有能な研究者達が集まっていました。その中で
議論を交わしたのです。そんな中でチャドウィックは
中性子を発見していきます。ベリリウムにアルファ粒子を衝突
させたボーテ【Walther Bothe(独)】の
1950年代の実験でチャドウィックは知見を得て
電荷をもたない理論的な粒子である「中性子」
を予感し考察を進め、キューリ夫妻の息子である
イレーヌ・ジョリオ=キュリーによるポロニウムとベリリウム
の行った1932年の実験検証を進めます。実験装置を工夫し、
理論を完成させます。原子核の理解にとって大きな前進
です。中性子が説明されたのです。ハイゼンベルク が
中性子とは陽子と電子の組ではなく新たな核子であると
考察していましたが質量は未確定でした。
その時点では実態の完全把握が未完でした。そうした
中性に対してチャドウィックは明確に質量を示し、
重陽子の光壊変によって中性子質量を確定します。
その発見で原子構造をまた一つ明らかにしたのです。
更にチャドウィックは
中性子がガン治療に有益であろうと考えます。
ただ残念な事に、チャドウィックの時代は
世界大戦の時代と重なります。マンハッタン計画では
イギリスチームのリーダーとして計画を進めていました。
トリニティー実験も目の当たりにしたようです。
自身が心血を注いで作り上げた概念が政治的に
利用されていく有り様をチャドウィックは、
どう感じていたのでしょうか。不満だった筈です。
その他、パウリとの議論の発展、
サイクルトロンの導入、ノーベル賞の賞金の
使い道について追って、きちんと整理して再投稿したいです。
本稿はひとまず筆を納めます。
チャドウィックはキーズ・カレッジの学寮長
として晩年を過ごしています。そして、リヴァプール大学
には彼の名を冠した研究所が残っています。
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/10/29_初回投稿
2021/09/01改定投稿
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ジェームズ・チャドウィックは研究環境で恵まれていました。
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海外修業時代にはガイガーの下で放射線計測の知見を
積み上げました。開発されたばかりのガイガーカウンター
を使い放射線特性での実績をあげます。第一次大戦終了後は
ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所で再び
ラザフォードの下で研究を続けます。ドクター修了後も
10年以上、ラザフォードの助手を務めていました。
キャンデビッシュ研究所での討論や助言は多分に
有益だったであろうと思われます。チャドウィック以外
にも有能な研究者達が集まっていました。その中で
議論を交わしたのです。そんな中でチャドウィックは
中性子を発見していきます。ベリリウムにアルファ粒子を衝突
させたボーテ【Walther Bothe(独)】の
1950年代の実験でチャドウィックは知見を得て
電荷をもたない理論的な粒子である「中性子」
を予感し考察を進め、キューリ夫妻の息子である
イレーヌ・ジョリオ=キュリーによるポロニウムとベリリウム
の行った1932年の実験検証を進めます。実験装置を工夫し、
理論を完成させます。原子核の理解にとって大きな前進
です。中性子が説明されたのです。ハイゼンベルク が
中性子とは陽子と電子の組ではなく新たな核子であると
考察していましたが質量は未確定でした。
その時点では実態の完全把握が未完でした。そうした
中性に対してチャドウィックは明確に質量を示し、
重陽子の光壊変によって中性子質量を確定します。
その発見で原子構造をまた一つ明らかにしたのです。
更にチャドウィックは
中性子がガン治療に有益であろうと考えます。
ただ残念な事に、チャドウィックの時代は
世界大戦の時代と重なります。マンハッタン計画では
イギリスチームのリーダーとして計画を進めていました。
トリニティー実験も目の当たりにしたようです。
自身が心血を注いで作り上げた概念が政治的に
利用されていく有り様をチャドウィックは、
どう感じていたのでしょうか。不満だった筈です。
その他、パウリとの議論の発展、
サイクルトロンの導入、ノーベル賞の賞金の
使い道について追って、きちんと整理して再投稿したいです。
本稿はひとまず筆を納めます。
チャドウィックはキーズ・カレッジの学寮長
として晩年を過ごしています。そして、リヴァプール大学
には彼の名を冠した研究所が残っています。
〆
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最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
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