それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1940年2月7日生まれ~2021年7月23日】
益川敏英は1940年に名古屋に生まれました。
先の大戦の終戦にほど近いので苦労しています。
5歳の時に名古屋大空襲で自宅が焼夷弾を受け、
非常に恐ろしい経験をしています。その為、
(憲法)「9条科学者の会」に名を連ね、
平和運動に情熱を捧げていたそうです。
そんな益川さんは高校時代に科学雑誌で
坂田昌一が「坂田モデル」を作り上げた事を知り、
大いに興味を抱き名古屋大学理学部に進みます。
当然、坂田研に所属して研究を進め、そこで
後の盟友となる小林誠と出会います。そして
坂田研で博士論文をまとめ上げた後に、
そのコンビは共に京都大学で研究を進めるのです。
特に、当時の大きな感心事だったC-P対称性
に関する理論的枠組みの構築をテーマとして選び、
自宅で風呂に入っている時に坂田さんは
クォークを6種類考えた時に理論が完結する
というアイディアをえました。
因みに、この時に観測されていたクォークは
3種類だったので理論が先行していた訳です。
そんな益川氏はノーベル賞受賞の際には
スピーチを英語で行う慣例を守らずに、
日本語でスピーチを行いました。そんな
益川さんが理路整然とした議論の枠組みを作り、
物静かな小林さんと深い議論をしていった結果
として小林-増川理論は出来上がり、素粒子の理解
が進んだのです。本稿の画像としては名大の風景
を使っています。二人はノーベル賞を京大時代に
とりましたが、その師は名大の人で出会いも名大
でした。いつも気持ちは名大にあった思います。
その一人益川さんが天に召されました。
享年81歳。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
〆
以上、間違い・ご意見は
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nowkouji226@gmail.com
2021/07/31_初稿投稿
2021/08/23_改定投稿
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