「オッペンハイマー」の原稿を投稿します。原稿文字数は1713文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/30(金)朝の時点でフォロワーは合計【12092】でした。定点記録を残すと、7/23と7/25と7/30でf/f数は、
コウジ改 SyvE.804/3599と826/3625と868/3655.
バンドリ sv2F.810/2666と824/2682と860/2720.
浩司 BLLp.578/2339と585/2340と609/2378.
kouji kouji.1971/3298と1992/3309と2018/3339.
作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1904年4月22日生まれ~1967年2月18日没】
オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面も
ありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)
では学生からオッピーという愛称で呼ばれていた
側面もありました。オッペンハイマーの人生は
喜怒哀楽に満ちています。
オッペンハイマーの人生を考えるにあたり、
第一の着眼点としては彼もユダヤ系の血を
引いているという点です。ヒットラーが民族としての
ユダヤ人達に焦点を当て迫害し、敵視していた現実は
動かしがたい事実です。強制収容所に連行
されるような世相の中でユダヤ人達は非常な
危機感を感じていたはずです。その危機感の中で
20世紀初頭の歴史は、天才達が育ち・団結して
新しい物を生み出していたのではないでしょうか。
そんな時代に兵器製造の行為は肯定される話
ではないのですが、当時の論客もユダヤ人迫害
から話を初めて、マンハッタン計画に進む流れ
を紹介していき、大衆に納得し易い話を組み立て
られたでしょう。
それ以降100年近くがたとうとしていますが、この考えは幾多の人が繰り広げてきたのではないかと思えますが、再度、私も強調します。具体的な登場人物はアインシュタイン 、シュテルン、マックス・ボルン、D・J・ボーム 、E・パウリ 、ランダウ、ファインマン、
そして今回ご紹介するオッペンハイマーです。(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、思い付くたびに追記します。)
そうしたメンバーがもたらした今世紀初頭の物理学の進展は急速でした。その進展は物理学に留まらず、工学、産業、果ては政治体制に繋がっていきました。1917年ロシア革命に始まった社会体制の変化とも同期していた、と言えるのでは無いでしょうか。今世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって大きく様変わりしていたと思えます。そして、昨今コロナで不満が高まり、米中関係が緊張していく世相は、やもすれば危ない世界に近づいてるようにも思えます。各人で理性的な判断・発言をしましょう。今、方向付けが重要です。
さて実際、オッパンハイマーは最終的に
6つの言葉を操ります。少年時代には
鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し
ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学
します。そこから理論物理学のゲッティンゲン大学
に進みボルンと出会います。オッペンハイマーは
ボルンの指導の下で研究を進め共同で
ボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。
その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学や
UCBで教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴い、
オッペンハイマーはロスアラモス国立研究所の
初代所長に任命されます。そこで原爆を開発したのです。
この仕事は、世界のパワー・バランスを変え、
後の世界を大きく変えました。
晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが、それ以後の時代では原爆を使わなくても各国が持つだけで攻撃対象とされたりしますし、外交で原爆が脅迫の道具として使われていたりします。
そういったことにつながった発明を
オッペンハイマーは「罪」として捉えていて、
水爆の開発には反対していたりもしました。
オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。
オッペンハイマーの時代はは冷戦時代なので
学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、
最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。
常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)
の監視下にあったのです。1965年、
がんの為にニュージャージーの自宅で
静かに生涯を終えました。合掌。
〆
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2020/09/21_初稿投稿
2021/07/31_改定投稿
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