「長岡半太郎」の原稿を投稿します。原稿文字数は1535文字です。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。アマゾン関連の作業は嫁任せでしたがサイトの運営として記載します。読者満足度を考え関連書籍を記載します。作業として7月からの四半期で登場場所別に再考しています。この後、時代別のリライトを行います。また、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事ですので、オンライン英会話をご紹介しています。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1865年8月19日生まれ ~ 1950年12月11日没】
長岡半太郎の豊かな人脈
この長岡半太郎も湯川秀樹同様に大村藩の流れ
に生まれます。学生時代は東大で山川 健次郎や
田中舘愛橘に学び、助教授としてドイツ留学していた
時期にボルツマンに学びます。それだから実証主義
の考え方も、留学以後は踏まえながら議論をしていった
のでしょうか。どこまで核心に迫っていったか
論じる際には当時の日本における量子論での
現象把握を考えると良いでしょう。そんな事を考えながら、
科学史の観点から論文を読んでみたくなりました。
別の面から調べてみたら話は進む時があると
思えるからです。そして長岡半太郎の子供時代は
学業成績は芳しくなかったようです。
この点は同時期の本多光太郎を思い出します。因みに、この二人に加わえて鈴木梅太郎の三人は理化学研究所の三太郎と呼ばれて居たそうです。携帯電話のコマーシャルで似たような人達居ましたね。
長岡半太郎の研究業績
長岡半太郎は田中舘愛橘と地震の論文を纏めたり、
本多光太郎と磁気の論文を纏めたりしていますが、
長岡半太郎の研究業績として大きいのは、
なんと言っても原子モデルでしょうボルツマン仕込みで
ミクロへの探求を進めていたのです。トムソンが
ブドウパンの中のブドウのような形で
中心からの距離や軌跡と無関係に
電子の存在を仮定していたのに対し、
長岡半太郎は原子の周りを電子が回転する
土星のようなモデルを提唱しました。
この話は、不確定性関係と合わせて論じてみたいと思います。後に確立された不確定性関係では対象粒子の位置と運動量の関係が論じられます。この二要素が関連して論じられる訳です。その考え方の枠組みでは運動量が確定している電子に対して位置は不確定であって当然です。具体的には個体原子の位置は止まっていると見なせそうですが、動き回る電子の位置の確定が難しいのです。「運動量」の観測精度を高めている電子に対して位置情報はどんどんぼやけてきてしまいます。
時代を戻して長岡半太郎の時代に電子を観測
することを考えてみて、電子の挙動をとらえる
帯電物質を想定してみても帯電体の中を
動き回る電子の動きを止める事は出来ません。
電子とは何時も動いている物体だからです。
それだから、初めの時点での
モデル化の難しさが出てくるのです。
今日の物理学、特に量子力学的な知見では不完全なモデルとも言えますが、長岡半太郎のモデルは当時の原子モデルを大きく変えた点で高く評価出来ると思えます。全く知見の無かった原子という存在をに対して初期的なイメージを作る事が出来たのです。そのモデルをもとに帯電物質である電子の挙動が議論できたのです。
素晴らしいパラダイムシフトでした。
〆最後に〆
以上、間違いやご意見があれば
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問題点に関しては適時、
改定や返信を致します。
nowkouji226@gmail.com
2020/09/13_初回投稿
2021/07/21_改訂投稿
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