「大河内正敏」の原稿を投稿します。画像は銀杏並木を使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/13(日)朝の時点でフォロワーは合計【11206】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1878年12月6日生まれ ~ 1952年8月29日没】
大河内家の御曹司
大河内正敏は旧上総大多喜藩主にして子爵であった大河内正質の息子として生まれました。正敏は学習院初等科に進み、大正天皇と共に学びます。また大河内とは珍しい名字だなと思っていたら奥様も大河内家から娶っていたりして、なんだか皇族みたいな感じがしました。平民とは違う華麗なる一族って感じです。きっと鹿鳴館で踊っていたりしたのでしょう。政界では子爵議員として貴族院で議員を2期務めます。そんな中で若かりし無名の田中角栄を可愛がっていたといわれます。そんな人なので理化学研究所の3代目所長に就任したした時は理研研究員にして、貴族院議員で子爵、そして東京帝大教授でした。そんな偉人を今回はご紹介します。
大河内正敏の業績
大河内正敏は東大で物理学を学んでましたが時節柄、寺田寅彦と飛行弾丸の研究をしていたようです。物理学を駆使すれば流体力学や表面の解析が出来ます。大河内正敏が進めた具体的な別の活用事例としては、ピストンの開発があります。ここでもシリンダー内の熱流体解析や、摂動面の摩擦を解析出来ます。この研究は後の株式会社、リケンにつながります。戦後このグループは、GHQより十五大財閥の一つとして指定を受けます。
そして、眠りに
こうした業績を残して今、大河内正敏は埼玉県にある平林寺で永眠しています。その近くには理化学研究所の分室があり、今でも研究者たちが世界に冠たる研究を続けています。
〆
〆最後に〆
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nowkouji226@gmail.com
2020/12/17_初版投稿
2021/07/10_改訂投稿
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