「ティコ・ブラーエ」の原稿を投稿します。画像はデンマークの建物を使いました。また、アマゾンアソシエートのリンク掲載に関して最後に記載しました。規約は可能な限り守りたいです。アマゾン関連の作業は嫁の作業領域で、私の意識が薄かったのですがサイトの運営としては記載すべきだという判断です。読者満足度を考えると関連書籍の記載は有益な筈です。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別・登場場所別に再考しています。また、読者満足度を考えてサイトの写真を洋食器から英会話に変更しています。実際の所、学術論文を読む時には英語必須、他国の方と議論の時にも英語必須です。少しでも話せるようになる機会は大事です。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。6/13(日)朝の時点でフォロワーは合計【11206】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】
【1546年12月14日生まれ ~ 1601年10月24日没】
ティコ・ブラーエはデンマークの貴族です。
多彩な能力を持っていて天文学で業績を残した他に、
作家・占星術師・錬金術師としても活動していました。
また、意外なエピソードとして
「ティコ・ブラーエの鼻」の話があります。
その鼻は若き日の決闘によって鼻梁が無くなっていて、
それ以降、ティコは金属製の付け鼻をしていたのです。
ティコ・ブラーエの考え方では
地球が中心にあり、太陽は地球の周りを
回転していると考えていました。
確かに相対的な位置関係としては
太陽の動きは説明出来ますが、後の学者達
が整理した色々な星のデータベースと
整合性がとれる考えではありませんでしたでした。
ただ何より、ティコ・ブラーエの観測データは
正確無比でした。後にデータを引き継いだ
ケプラーがコペルニクス的転回をして
データをもとに、地球が自転しながら
太陽の周りをまわる理論を打ち出します。
全体的に見て、ティコ・ブラーエの考えは間違いでしたが、星の観測の業績としてはとても大きかったと言えるでしょう。また、色々な人の業績がつながっていく視点で見た時に、ティコ・ブラーエの残したデータが後に使われていた事実はとても重要だといえます。間違った点があったことは事実ですが、彼はそれでも追及を続けていて、彼の残したデータをもとに後の人々が議論をして、宇宙の理解へと進んでいったのです。現代の考えに近づきロケットが飛び知見が重なり、これからも進化するのです。
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/12/22_初版投稿
2021/07/02_改定投稿
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