「プランク」の原稿を投稿します。プランク定数という大切な概念を確立した人です。画像は第5回ソルベー会議の集合写真を使いました。作業としては4月からの四半期で登場人物順に再考した後に分野別に再考しています。いずれ個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていきたいです。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。5/21(金)朝の時点でフォロワーは合計【11487】でした。作業としてフォロワー増は暢気に続けます。それよりも紹介の内容を吟味します。ロボットを含めてアカウント数を考えた時に私のブログ(別言すれば私自身)に垢が無関心ならツイッターには意義を感じません。【以下原稿です】
その名は正確には、マックス・カール・エルンスト・ルートヴィヒ・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck)
【現在の国で言えば】ドイツ生まれのプランクは前期量子論の主要メンバーの一人です。学問的方法論の観点から語れば、エルンスト・マッハの実証主義に対しプランクは実在論を展開しています。プランクは微視的な物理公式を特徴づける本質的な定数であるプランク定数を提唱しています。即ち微視的な知見において、不連続な物理定数を上手に理論に取り入れて体系化しているのです。
プランクの提唱した一連の考え方はとても大事な概念で、量子力学の根幹をなしています。現代の我々が後付けで考えてみると、取り得る状態が不連続だから行列力学で使えます。そして状態の時間発展が量子力学体系の中で記述出来て、微視的な状態の遷移が「定量的に」表せるのです。
パラダイムシフトという言葉が使えます。
思想体系において大きな変換が起きました。
まず、考え方のハードルをクリア出来た事は
物理学にとって大きな一歩であったと言えます。
そしてプランクは戦争の時代を生きたので幾多の悲劇を味わいました。人道的見地から、アインシュタイン等へのユダヤ人迫害に対して当時の独裁者ヒットラーに直接意見を述べています。
そして、プランクの長男は第一次世界大戦で戦死しています。
プランクの二男はヒットラーを暗殺に加担したので
処刑されてしまいました。加えてプランク自身も
国賊の親として批難を受けていました。
更には、、、他にプランクには二人の娘さんが居ましたが、
共に孫娘を産んだ後に亡くなっています。
こうして色々とあったプランクの人生ですが、プランクの残した業績は決して消えていません。プランクの名前を残しているプランク定数は今でも世界中で議論の中で使われていて、彼の名を冠した研究所は21世紀になっても最先端の研究を続けています。
以上、間違いやご意見があれば
以下アドレスまでお願いします。
問題点に対しては適時、
改定・訂正を致します。
nowkouji226@gmail.com
2020/09/08_初回投稿
2021/06/13_改訂投稿
【纏めサイトTOPへ】
【舞台別のご紹介へ】
【時代別(順)のご紹介】
【ドイツ関連のご紹介へ】
【熱統計関連のご紹介へ】
【量子力学関係へ】
【このサイトはAmazonアソシエイトに参加しています】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image