ヤフーブログ終了の教訓から登場場所の整理をしていますが(http://wwwのドメインを信頼した作業です)、それに伴い、以下にSEO対策後の「ボイル」の原稿を投稿します。オックスフォード大関連の整理をする中での再投稿ですが、定量的な対象に対しての理解や、「化合物」、「混合物」といった「言葉の確立」に関して苦心した様子が見受けられます。どうぞご覧下さい。リンクを含めてWWWの付いたサイトでの更新情報を残します。また、ブログ宣伝でツイッター。4/23(金)フォロワーは合計【12016】でした。フォロワーどのくらい減るか観察します。それよりも紹介の内容を吟味します。今ツイッターにはあまり意義を感じていません。使えるのでしょうか。試行錯誤は続けます。
【以下が投稿原稿です】
その名は正確には
サー・ロバート・ボイル: Sir Robert Boyle_
英国アイルランド生まれの物理学者です。
初代コーク伯爵リチャード・ボイルと
キャサリンの間に7番目の男子として生まれ
現地の家庭に里子に出されます。
その結果、ボイルはアイルランド語を
理解し、通訳レベルまで習得しました。
ボイルはフランス人の家庭教師と
海外旅行をしていて、1641年冬には
イタリアのフィレンツェで過ごし、
ガリレオ・ガリレイの教えを受けます。
ガリレオは1642年に亡くなりますが、
まさに晩年、ガリレオと接したのですね。
今の日本人なら中学生でしょうか。
多感な時期に良い刺激を受けた事でしょう。
1644年に大陸の長旅を終えるとボイルは
多くの時間を科学に使い、後の王立協会
に繋がる集まりであるロンドン理学協会、
別名、不可視の学院とも呼ばれた集まりに
参加するようになります。先代が亡くなって
いましたので、ボイルはアイルランドでの
立場もあったのですが、ロンドンで頻繁に
会合が開かれた事情もあり彼は最終的には
オックスフォードに移り住みます。
実験器具が入手し辛いといった切実な
側面もあったようです。
その後、フックを助手としてボイルは空気
ポンプを制作して圧力の研究を始めます。
やがてはその研究は体積との関係を示す、
ボイルの法則に繋がります。
ただ1660年迄に
体積は圧力に反比例すると明言していて、
書物での記録はあるようですが、
温度や分子量との関連を含め、
現象の定式化には至らなかったようです。
実際の定式化はヘンリー・パワーによって
1661年になされているようです。
最後に、ボイルは錬金術の伝統を受継いで
いましたが、近代的な視点を持ち「元素」を想定して、
混合物と化合物を明確に区別した点で秀でています。
ボイルが明確にしたパラダイムシフト
は非常に大きな業績だと言えるのではないでしょうか。
〆
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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。
nowkouji226@gmail.com
2020/11/04_初稿投稿
2021/04/26_改定投稿
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