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2024年08月09日

ポール・エーレンフェスト
8/9改訂【波動関数を統計的な手法で解釈・定理化し|後進を多数輩出】

こんにちは。コウジです。
エーレンフェストの原稿を改訂します。


今回の改定点はリンク切れ情報の改定です。
ご覧ください。(以下原稿)


【←ローレンツとアインシュタイン_
エーレンフェストの自宅前で
Crediit;:_ pinterest.com_】


量子論の基礎講座
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【1880年1月18日生まれ ~ 1933年9月25日没】



エーレンファストと期待値と波動関数
【現象をつなげたエーレンファスト】


ポール・エーレンフェストは


統計力学量子力学


洗練された形で結びつけたと言えるでしょう。


それぞれの分野での2つの指標である


期待値波動関数を結びつけたのです。


また、本稿の中で使っている写真も意義深いです。アインシュタインローレンツという2人の偉人をより強く結びつけているのがエーレンフェストだからです。エーレンフェストの家で沢山の考え方(議論)が進んでいったのです 。

オーストリアに生まれウィーンで育ったエーレンフェストは
研究生活において
非常に恵まれていたと思います。


まず、ボルツマンの講義を受ける環境をもち、
熱力学の考えや気体分子の運動論に大変、感銘を受けます。
柔らか頭の時期にボルツマンの熱意に触れることが出来たのです。


ミクロの世界と可視下で想像できる質点モデルの世界を
繋げる事が出来たのです。更に小旅行でローレンツに出合い、
互いに刺激を受け、その後、
アインシュタインと交友関係を結びます。
アインシュタインとエーレンフェストは共に
ユダヤ系でしたので多くの
「思想」・「話題」を共有したことでしょう。



より詳細な期待値の解説


冒頭に、エーレンフェストは2つの指標、期待値と波動関数を
関連付けたと記載しましたが
「期待値」とは簡単に言えば
「平均値」の事です。


例えば、距離(長さ)で考えてみると
精度を上げるほど実測値には幅が出てきます。
長さをノギスで測定してみたら
4.155oだったり4.154oだったりします。


そこで数回の測定の平均値をとって確からしい
と思われる数値を決めます。期待値です。
【測長の例ではより細かくレーザー測長器
によって計測が進める事が出来ます。しかし
それでも、光学的限界に突き当たります。】


期待値という言葉を使う時には分散値とか誤差とか併記され
統計的な処理がなされていると思って下さい。
【より細かい話としては離散値だけでなく連続値
に対して
期待値・分散値を考えていきます。】



より詳細な波動関数の解説


また、エーレンフェストが考えていたもう一つの概念である波動関数は、
細かい世界を表現するにあたり、当時は観測にかからない、とも
考えられたミクロな対象に対する物理量を表現する数学的手段です。


ヒルベルト空間で議論される関数で、無限次元の基底をとります。
ミクロの物質には粒子性と波動性が混在する事情もあり、
双方を具現化する波動関数が登場します。


エーレンフェストの定式化した定理によると
波動性が顕著に表れていると思える現象でも
その運動量や速度が求まり粒子と比較して
議論する事が可能です。2つの手法が繋がるのです。



 エーレンファストの定理の時代背景
【人々をつなげたエーレンファスト】


フランスのド・ブロイが提唱した物質波という概念は
論文審査の時点で独逸のアインシュタインが高く評価して、
オランダのエーレンフェストが定量的な議論を進めたのです。


その概念形成の達成は国を超えて人々が求め続けた疑問の解決でした。
そして今では大学生であっても共有できている人類の知識なのです。


また、ボルツマンの没後にエーレンフェストは
その大きな業績をいくつも纏めて発表しました。


そうした活動を知った人々は当然、
エー
レンフェストに期待を寄せます。
ボルツマンが執筆中だった未完の仕事に
エーレンフェストは着手します。


数学者が統計力学を考える仕事だったそうですが、
形になっていないモデルの検証に対して鋭い考察がありました。


また、棚上げになっていた問題を洗い出して整理していました。
その作業には数学者であったエーレンフェストの
奥様が協力していて、
共に数学モデルを駆使して未解決の物理での
問題に挑んでいました。


また、
エーレンフェストは優れた教育者でした。
1912年にドイツ語圏の大学訪問の中で
プランクに会い、
ゾンマーフェルトに会い、
アインシュタインに会います。

そしてオランダのライデン大学での
ローレンツの地位を引き継ぎます。


ライデン大学の教授を務めた彼のもとには
多彩な人材が集まり育っていきました。
彼は弟子達をヨーロッパの研究機関で修行
する事を勧め、海外の違った環境で研究を
する事を奨励しました。
ヘンリク・クラマース、
ジェラルド・カイパー
などが学生として所属、
グンナー・ノルドシュトルム、
エンリコ・フェルミ
イーゴリ・タム、オスカル・クライン、
ロバート・オッペンハイマー
ハイゼンベルク
ポール・ディラック
_が外国人研究者として

長期間研究をしました。


たとえばエーレンフェストはパウリと手紙をやりとり
する中で
オッペンハイマーの育て方を語り合っています。
詳細は
藤永茂著「ロバート・オッペンハイマー」を参照願います


ボルツマンを思い返すとエーレンフェストという人が点であって、
その点がオーストリアという糸で
ボルツマンと結ばれていったような気がします。
そして、
ボルツマンの考えを受け継いだエーレンフェストが
他国の糸と絡み合っていく気がします。


た、


ボルツマンの考えを受け継いだシュレディンガー
エーレンフェストの研究室で議論したディラックと同時に
1933年のノーベル物理学賞を受賞します。


人を育てるという大変さと重要さを感じます。大きな仕事です。



そして晩年


そして晩年なのですが、エーレンフェストは
重度のうつ病に苦しんでいたようです。
アインシュタインが仕事量を減らすように職場に
働きかけたたようです。しかし友情も空しく終わり、
最後はダウン症だった末っ子Wassikを
打ち殺し自らも命を絶ちます。
ご冥福をお祈りするしか出来ません。
彼が考え抜いた末の結論だったのです。


そして、エーレンフェストが始めた
ライデン大学での夜間・物理学コロキウムは、
今でも「Colloquium Ehrenfestii」と呼ばれ、
続いているそうです。
今晩も議論しているかも知れません。




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以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近全て返事が出来ていませんが
全て読んでいます。
適時、改定をします。


nowkouji226@gmail.com


2020/10/21_初版投稿
2024/08/09_改定投稿


舞台別のご紹介
時代別(順)のご紹介

オーストリア関連のご紹介
ウィーン大関連のご紹介
オランダ関係の紹介へ
ライデン大学のご紹介

熱統計関連のご紹介へ
量子力学関係


AIでの考察(参考)


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(2021年10月時点での対応英訳)



Ehrenfast, expected value and wavefunction


Paul Ehrenfest can be said to be a sophisticated combination of statistical mechanics and quantum mechanics. He combined two indicators in each field, the expected value and the wave function.


The photos used in this article are also significant. It is Ehrenfest that more strongly connects the two great men, Einstein and Lorenz. A lot of thoughts should have gone on at Ehrenfest's house. Born in Austria and raised in Vienna, Ehrenfest in his research life


I think he was very fortunate.


First of all, he has an environment where he receives Boltzmann's lectures, and he is very impressed with the idea of ​​thermodynamics and the kinetic theory of gas molecules. He was able to connect the micro world with the world of mass model that can be imagined under the visible. He also met Lorenz on a short trip, inspired each other, and then made friends with Einstein. Since Einstein and Ehrenfest were both Jewish, they probably shared many "thoughts" and "topics."



More detailed explanation of expected value


At the beginning, Ehrenfest stated that he associated two indicators, the expected value and the wave function, but the "expected value" is simply the "average value". For example, when considering the distance, the higher the accuracy, the wider the measured value. It can be 4.155 mm or 4.154 mm. So he takes the average of several measurements to determine what he thinks is likely. Expected value. When you use the word expected value, please think that the variance value and the error are written together and statistically processed.
[As a more detailed story, not only discrete values ​​but continuous values
We will consider the expected value and variance value for. ]



More detailed wave function explanation


In addition, Ehrenfest's other concept, the wave function, is a mathematical means for expressing physical quantities for microscopic objects that were thought to be unobservable at the time when expressing the fine world. A function discussed in Hilbert space, which takes an infinite dimensional definition. There is also a situation where microscopic substances have both particle and wave properties, and a wave function that embodies both will appear.


According to Ehrenfest's formalized theorem, it is possible to find the momentum and velocity of a phenomenon in which wave nature appears prominently and to discuss it in comparison with particles. The two methods are connected.


 

Background of the era of Ehrenfast's theorem


The concept of matter waves advocated by France's de Broglie was highly evaluated by Einstein, who was unique at the time of the dissertation review, and Ehrenfest of the Netherlands deepened the quantitative discussion. Achieving that concept formation was the solution to the questions that people continued to seek across countries. And now it is the knowledge of humankind that even university students can share.


Also, after Boltzmann's death, Ehrenfest summarized and announced a number of his great achievements. People who know about such activities naturally have high expectations for Ehrenfest. Ehrenfest embarks on an unfinished work that Boltzmann was writing. He was said to have been a mathematician's job of thinking about statistical mechanics, but he had a keen eye for the verification of unformed models. In addition, the problems that had been shelved were identified and sorted out. Ehrenfest's wife, who was a mathematician, cooperated in the work, and both worked on unsolved physics problems by making full use of mathematical models.



Ehrenfest was also an excellent educator.


He met Planck, Sommerfeld, and Einstein during a visit to a German-speaking university in 1912. And he will take over Lorenz's position at Leiden University. He was a professor at Leiden University, and a diverse group of human resources grew up under him. He encouraged his disciples to practice at European research institutes and to study in different environments abroad.
Hans Kramers,
Gerard Kuiper
Etc. belong as a student,
Gunnar Nordström,
Enrico Fermi,
Igor Tamm, Oskar Klein,
Robert Oppenheimer,
Heisenberg,
Paul Dirac
_ Has studied for a long time as a foreign researcher.


Looking back on Boltzmann, I think that the point was Ehrenfest, and that point was tied to Boltzmann with a thread called Austria. And I feel that Ehrenfest, who inherited Boltzmann's ideas, is intertwined with threads from other countries. In addition, Schrodinger, who inherited Boltzmann's ideas, won the 1933 Nobel Prize in Physics at the same time as Dirac discussed in Ehrenfest's laboratory. He feels the difficulty and importance of raising people. It's a big job.



And his later years


And in his later years, Ehrenfest seems to have suffered from severe depression. Einstein seems to have worked on the workplace to reduce his workload. In the end, he kills his youngest child, Wassik, who had Down Syndrome, and kills himself. You can only pray for your soul. It was the final conclusion he had thought out.


And the night and physics colloquium at Leiden University, which Ehrenfest started, is still called "Colloquium Ehrenfestii" and it seems to continue. I may be discussing it tonight as well.

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