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2021年01月01日

プトレマイオス_ラザフォード_マイケルソン_レイリー_チャドウィック【10/25~10/29の原稿】

以下に草稿を残します。各項は適時改定致します。

@クラウディオス・プトレマイオス
Aアーネスト・ラザフォード
Bアルバート・A・マイケルソン
C第3代レイリー男爵_J・W・ストラット
Dジェームズ・チャドウィック

【@プトレオマイオス原稿】
先ず、プトレマイオスの生没年はユリウス暦によります。
科学が分化していない時代の人物で哲学・天文学・占星術
等、多彩な仕事を残しました。古い人で
アラビア語の文献では古代エジプト王の血を引く
と伝えられていて、エジプト人であるという考えと
ギリシャ人であるという考えがあるようです。

アルマゲストを初めとするプトレマイオスの著書は
中世に至るまでヨーロッパ世界に
多大な影響を及ぼしました。
地球が宇宙の中心にあり、
天文学を数学的に整理して体系立てて紐解き、
天動説を確かな物にしています。

プトレマイオスの天文学での業績は
後の人々が考える理論(数学モデル)の基礎を
分かり易く整理して、当時の実用に
耐えうるレベルまで引き上げ紹介した点です。

同時にプトレマイオスの天文学での問題
を考えると天動説の検証をし辛くした点です.

【Aラザフォード】
その名は正確にはアーネスト・ラザフォード_
Ernest Rutherford, 1st Baron
Rutherford of Nelson, OM, FRS,
初代のネルソン卿_ラザフォード男爵です。

ラザフォードはニュージーランドに生まれ数学でマスタの学位をとった後で奨学金を得てイギリスのケンブリッジ大学に進みます。そこでラザフォードはJJトムソンの指導のもとで気体の電気伝導の研究をします。

研究を進めるうちにラザフォードはウランから2つの放射線、
α線とβ線が出ている事を発見します。ラザフォードは後に透過性の非常に強い放射線が電磁波である事を突き止め、半減期の概念を提唱します。





ラザフォードが考えた半減期の分かり易い
例として、岩石の年代測定があります。
特定の岩石に含まれる物質から出てくる
放射線量を計測すれば、
半減期の概念を使って形成から今迄、
どのくらい時間が経っているか推定
出来るのです。





ラザフォードは更に研究を続けました。
ガラス管にα線を集め、そのスペクトル
分析からα線とはヘリウム原子核である
と突き詰めています。そして、
1911年にはガイガー・マースデンとα線の
散乱実験を行いました。有名なラザフォード
の原子模型が提唱されたのです。
原子には中心に原子核があり
その周りを電子が運動している
現代でも使えるモデルです。

またラザフォードはその人柄から
原子物理学の父と呼ばれています。
キャンデビッシュ研究所では
若い研究所員たちにボーイズ。
と呼びかけていました。また彼は
夏の砂浜海岸でもスーツのジャケット
を脱がないスタイルでした。
そして、
原子番号104の元素は今、彼を偲んで
ラザホージウムと呼ばれています。









【Bマイケルソン】
その名を全て書き下すと
Albert Abraham Michelson。
ユダヤ系の血を引くアメリカ人です。





マイケルソンは物理学を学ぶ中で
光学に対して関心を示し、干渉計を発明しました。。
その後、有名な実験を実現します。
マイケルソンはその後も様々な
研究者と実験をしていきますが、
光の干渉を原理として使っていて
光路が長い程、精度が高くなります。

そこで、マイケルソン達の装置は
大がかりな物になっていきますが、
結果として様々な外乱に晒され、
誤差との戦いが続きました。
装置を据え付ける地盤、
微振動、感光装置、その他に
様々な配慮を払わねは
ならなかったはずです。





そもそも、マイケルソンの時代に
エーテルという光の伝播媒質が論じられて
いました。光が波であれば気になる存在です。
ローレンツの理論での変換は
干渉のずれを収縮が打ち消す、
といった結果をもたらします。
エーテルを想定したマイケルソンの
実験結果は様々な議論に繋がり
媒質としてのエーテルは現在、
否定されています。
この有名な実験が広く認められ、
マイケルソンはアメリカ人として
初のノーベル物理学賞を受けます。

近年、マイケルソンの実験手法は
別の成果をもたらしました。
2015年9月、2基のマイケルソン
干渉計を使い、直接的に重力波を
観測にかけたのです。
稀代の実験家の拘りが数十年後に
結実したと言えるでしょう。






【Cレイリー卿】
寺田寅彦 - 漱石、レイリー卿と和魂洋才の物理学 (中公新書) - 小山 慶太

その名を改めて書下すと、レイリー男爵_3代目
ジョン・ウィリアム・ストラット_
John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh

分かり易い業績を紹介すると、
晴れた日の空の青さを説明しました。
子供が、空はなぜ青いの?って
聞いた時のお話しですよね。より細かくは
散乱光の研究からレイリー卿は入射波と
反射側の散乱波を考え、それらの
波長と空気中の分子の性質を考えたのです。
結果、昼間は青く、夕方は赤い。
レイリー散乱と呼ばれる考え方です。

またその他のレイリー卿の業績は、
地震の表面波の解析(レイリー波)、
ラムゼーと研究したアルゴン発見、
古典的な熱放射理論である
レイリー・ジーンズの法則等があります。

そんなレイリー卿は量子論や相対論に
厳しい立場をとっていて、
エーテルを考え続けていた様です。
当時の考えでは否定しえない物だった
とも言えるでしょう。





【Dチャドウィック】
チャドウィックは研究環境で恵まれていました。
マンチェスター大学の時代から
ラザフォードの指導を受け、
海外修業時代にはガイガーの下で
放射線計測の知見を積み上げました。
開発されたばかりのガイガーカウンター
を使い放射線特性での実績をあげます。

第一次大戦終了後はケンブリッジ大学の
キャベンディッシュ研究所で
再びラザフォードの下で研究を続けます。
ドクター修了後も10年以上、
ラザフォードの助手を努めていました。





キャンデビッシュ研究所での
討論や助言は多分に有益だった
であろうと思われます。
チャドウィック以外にも有能な
研究者達が集まっていました。
その中で議論を交わした筈です。
そんな中でチャドウィックは
中性子を発見していきます。その発見で
原子構造をまた一つ明らかにしたのです。

更にチャドウィックは中性子の質量
を明らかにして、それがガン治療
に有益であろうと考えます。





ただ、チャドウィックの時代は
世界大戦の時代と重なります。
マンハッタン計画ではイギリスの
リーダーとして計画を進めていました。
トリニティー実験も目の当たりにしたようです。

自身が心血を注いで作り上げた概念が
政治的に利用されていく有り様を
チャドウィックは、どう感じて
いたのでしょうか。不満だった筈です。

その他、パウリ・ハイゼンベルク等との
議論の発展、サイクルトロンの導入、
ノーベル賞の賞金の使い道について
追って、きちんと整理して再投稿したいです。
本稿はそろそろ〆ます。





チャドウィックはキーズ・カレッジ
の学寮長として晩年を過ごしています。
そして、リヴァプール大学には彼の
名を冠した研究所が残っています。





以上、間違い・ご意見は以下アドレスまでお願いします。
時間がかかるかもしれませんが必ず返信・改定をします。

nowkouji226@gmail.com

2020/12/25_記





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posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定
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