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2020年12月22日

平賀源内・パウリ・ゾンマーフェルト・オッペンハイマー・E_テラー【9/18~9/22迄の投稿】

以下順番にリンクのついた原稿を個別に改定します。
また、その後に初稿を残します。

@平賀源内_1728 ~ 1780年1月24日
Aヴォルフガング・E・パウリ_1900年4月25日 ~ 1958年12月15日
Bゾンマーフェルト_1868年12月5日 ~ 1951年4月26日
CJ・R・オッペンハイマー_1904年4月22日 ~ 1967年2月18日
Dエドワード・テラー_1908年1月15日 ~ 2003年9月9日

【@平賀源内_9/18の原稿】
少し時代が古いです。
平賀源内は江戸時代、田沼意次が老中
を努めていた時代で多彩な能力を発揮
しています。物理学関係に留まらない。

そもそも、平賀源内は讃岐の国
に生まれます。家祖は信濃源氏の平賀氏。
平賀氏は武田氏に敗れ、一度、改姓して
源内の時代に平賀姓に復姓しています。

平賀源内が手掛けた分野は医学、薬学、
漢学、浄瑠璃プロデュース、鉱山の採掘、
金属精錬、オランダ語、細工物の販売、
油絵、俳句と多岐にわたりました。

その一つが発明で平賀源内は
物理現象の啓蒙に一役買っているのです。
所謂、エレキテルの紹介ですね。
エレキテルは不思議な箱で
内部にガラスによる摩擦起電部、
蓄電池を持っています。
実の所、平賀源内が発明したというより
オランダ製の物を平賀源内が紹介した
訳ですが江戸時代の庶民達には
摩訶不思議な魔法に見えたでしょうね。
また、平賀源内の現象理解は現在の学問体系
とは大きく異なっていたようです。


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【AE・パウリ_9/19の原稿】
パウリの排他率律で有名です。
排他律を排他率と書いてしまいがちですが排他律です。
またはパウリの原理と呼ばれています。
1945年にアインシュタインの推薦でノーベル物理学賞を受けています。
ミドルネールのエルンストはパウリが尊敬するマッハに由来します。
父方はユダヤ人で有名な出版社を経営していたようです。

さて、排他律の具体的な内容に関してですが、
ナトリウムの分光実験から話が始まります。
再現性の高い事実として磁場付加時の分光は
電子の自転に由来するという仮説を立て、
後にそれをスピンと呼ばれます。新しい量子的自由度です。
後に行列力学を基盤とした定式化を行い数学的に表現します。

個人的に興味を引くのはミュンヘン大学でパウリが
ゾンマーフェルトの師事を受けている点です。
私が薫陶を受けた先生がゾンマーフェルトを研究していて
マッハの名前もその先生から教えてもらいました。
そして、マッハ・ゾンマーフェルト・パウリとつながったのです。

私の頭の中での奇妙な三角関係はさておき、
パウリは人間的にも面白いところがあります。
博士号を習得した直後、パウリはゾンマーフェルトに
独逸語での百科事典の記事執筆を依頼されます。
内容は相対性理論で二か月ほどをつかって完成させました。
結果はアインシュタインの査読にかなう見事なもので
今日においても読み応えのあるものとなっているそうです。

更に妙な繋がりは心理学者C・G・ユングとの関連です。
パウリは離婚後に精神を病んでいた時期がありました。
今や、夢分析の世界で有名なユングに完璧主義者のパウリ
が出合ったのです。先生と生徒という関係を築き、
生徒としてユングにパウリは科学的な批評を加えます。
互いに有益な関係だったのでしょう。

そして、パウリは最後まで愛したものを愛し続けました。
戦争での苦難の時代の後に帰国して、病床でも完璧主義者として
見舞客と議論を続けました。その中で語り継がれている話ですが、

もし、パウリが神に謁見したら、
神に微細定数 1/137.036...の
理論的根拠を尋ねたとしたら、
神様は物凄い速度で計算式書き連ねるだろう。その後、
きっとパウリは「違う!」と唱え話し続けるであろう。

よもや、神様さえも「あ!」と唱えるのではないか、
と不遜にも想像してしまいました。



【Bゾンマーフェルト_9/20投稿】
ゾンマーフェルトは
パウリとハイゼンベルクの指導をして
育て上げた事で有名です。
個人的な印象では積分の経路に
工夫を凝らす人だという印象です。
そこがまさに電子軌道の自由度を
考える事に繋がっていたかと。

ゾンマーフェルトの考えは
単純な円軌道で電子が運動しないで
楕円の軌跡を描く筈だと言う物です。

こういった話をしていて感じるのは
どうやっても見えない世界に
何とか形を与える事は素晴らしい、
と云うことですね。

実際に形を与える事は文化的発展
に繋がり世界を変えていくのです。
ダイナミックな世界かと。

日々の暮らしでは
感じられない世界です。





【Cオッペンハイマー_9/21投稿】
オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面もありますが、
UCB(バークレー校)では学生からオッピーと呼ばれていました。
彼の人生は喜怒哀楽に満ちています。

個人的な着眼点としては彼もユダヤ系の血を引いているという点です。
ヒットラーが民族としてのユダヤ人に焦点を当て迫害し、敵視していた
現実は動かしがたい事実です。強制収容所に連行されるような世相の中で
ユダヤ人達は非常な危機感を感じていたはずです。その危機感の中で
20世紀初頭の歴史は、天才たちが育ち・団結して新しい物を生み出し
ていたのではないでしょうか。この考えは幾多の人が繰り広げてきた
のではないかと思えますが、再度私も強調します。
具体的にはアインシュタイン・ボルン・そしてオッペンハイマーです。
(今は此処迄しか思い浮かびませんが後日、追記することになるでしょう)
それ程に
今世紀初頭の物理学の進展は急でした。その進展は物理学に留まらず、
工学、産業、果ては1979年ロシア革命に始まる社会体制の変化
にも繋がっていったと言えるのでは無いでしょうか。

実際、オッパンハイマーは最終的に6つの言葉を操ります。
少年時代には鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し
ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学します。
そこから理論物理学のゲッティンゲン大学に進み
ボルンと出会います。オッペンハイマーはボルンの
指導の下で研究を進め、
共同でボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。

その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学やUCBで
教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴いオッペンハイマーは
ロスアラモス国立研究所の初代所長に任命されます。
ここで原爆を開発したのです。この仕事は、
世界のパワーバランスを変え、後の世界を大きく変えました。

晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、
後悔の言葉さえ残しています。戦争時代の原爆開発・使用は
国としてのアメリカの中で必要と判断されていましたが
現代ではそれを使い各国が持つだけで攻撃対象とされたり
外交で脅迫の道具として使われていたりします。
そういったことにつながった発明をオッペンハイマーは
「罪」として捉え水爆の開発には反対していたりもしました。
オッペンハイマーには別の罪もあります。オッペンハイマーは
冷戦時代なので、学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、
最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。
常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)の監視下にあったのです。
1965年、がんの為にニュージャージーの自宅で静かに生涯を終えました。
合掌









【DE・テラー_9/22の記事】
エドワード・テラーは水爆の父と呼ばれ、
晩年のオッペンハイマーと対立します。

エドワード・テラーはハンガリーのブタペストで
弁護士の父と4か国語を使う母から生まれました。
ユダヤ系であったエドワード・テラーの父は職を追われ、
ハンガリー・ドイツ・アメリカと移住を重ねました。
ただ、学問の世界では良い出会いに恵まれています。
ハイゼンベルグの下で博士論文を書き、
ボーアとの居たコペンハーゲンで有益な時間を過ごします。

アインシュタインと共にエドワード・テラーは原爆の研究を
アメリカ政府に働きかけ、実際にその計画は進んでいきます。
そんな中、友人のランダウがソ連政府に逮捕された時期に
反共思想を持ちます。オッペンハイマーとの確執の
始まりが続きます。特に兵器としての利用に関しては
エドワード・テラーとオッペンハイマーは対極の立場をとります。

実際、
エドワード・テラーは原爆・水爆と兵器の開発の中心に居ました。
水爆を「My・Baby」と呼んでいたと言われています。
その立場は変わらず、生涯その事を悔いることはなかったと言われています。










posted by コウジ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 原稿改定
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