こんにちはコウジです!
「オッペンハイマー」の原稿を改定します。
今回の主たる改定はAI情報の再考です。また、
オッペンハイマーが生まれた頃、ベートーベンはもう居ません。
(彼の人生は1770年12月16日頃 - 1827年3月26日)
初見の人が検索結果を見て記事内容が分かり易いように再推敲します。
SNSは戦略的に使っていきます。そして記述に誤解を生む表現がないかを
チェックし続けてます。ご意見・関連投稿は歓迎します。
Blu-ray ※日本語無し](輸入版) OPPENHEIMER
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【1904年4月22日生まれ~1967年2月18日没】
原爆の父オッペンハイマー
オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれている側面も
ありますが、UCB(カリフォルニア大学バークレー校)
では学生からオッピーという愛称で呼ばれていた
側面もありました。オッペンハイマーの人生は
喜怒哀楽に満ちています。
オッペンハイマーの人生を考えるにあたり、
筆者の第一の着眼点は彼もユダヤ系の血を引いている
という部分です。
ヒットラーが民族としてのユダヤ人達に焦点を当て迫害し、
敵視していた現実は動かしがたい事実です。
強制収容所に連行されるような世相の中で
ユダヤ人達は非常な危機感を感じていたはずです。
ユダヤ人たちが抱く危機感の中で20世紀初頭の歴史は進み、
天才達が育ち・団結して新しい物を生み出していた
という側面があるのだと言えます。
そんな時代に兵器製造の行為は肯定される話ではないのですが、
当時の論客達はユダヤ人迫害から話を初めて、
マンハッタン計画に進む流れを紹介していき、
大衆に納得し易い話を組み立てられたでしょう。
ユダヤ系の物理学者達
世界大戦終結後、100年近くがたとうとしています。
ユダヤ人に対しての考えは幾多の人が繰り広げてきた
のではないかと思えますが、再度、私も強調します。
具体的な物理の世界での登場人物はアインシュタイン 、
シュテルン、マックス・ボルン、ネイサン・ローゼン、
D・J・ボーム 、E・パウリ 、ランダウ、ファインマン、
ハンスベーテ
そして今回ご紹介するオッペンハイマーです。
(今は此処迄しか思い浮かびませんが
後日、思い付くたびに補記します。)
ユダヤ人メンバー中心に居てがもたらした今世紀初頭の
物理学の進展は急速でした。
その進展は物理学に留まらず、工学、産業、
果ては政治体制に繋がっていきました。
1917年ロシア革命に始まった社会体制の変化とも
同期していた、と言えるのでは無いでしょうか。
20世紀初頭の閉塞感は、それを打ち破る様々な努力によって
大きく様変わりしていたと思えます。そして、昨今コロナで
不満が高まり、米中関係が緊張していく世相は、やもすれば
危ない世界に近づいてるようにも思えます。
各人で理性的な判断・発言をしましょう。
今、方向付けが重要です。
オッペンハイマーの関心
さて実際、オッパンハイマーは経済的に恵まれた
家庭で育ち、沢山のお小遣いをもらいながら
すくすくと育ちます。そして、
オッペンハイマーは最終的に6つの言葉を操ります。
少年時代には鉱物学・数学・地質学・化学に関心を示し
ハーバードを三年で終えてケンブリッジに留学します。
そこから理論物理学のゲッティンゲン大学に進み
ボルンと出会います。オッペンハイマーはボルンの指導の下で
研究を進め共同でボルン・オッペンハイマー近似等の業績を上げます。
若い時代にボルンと近似に関する仕事をする以外に
一度帰国した後に二度目の訪欧でエーレンフェスト・パウリ・ボーア
等と交流し物理学での知見を育みます。
(2023年に別記事にまとめました)。
その後、アメリカに戻りカリフォルニア工科大学やUCBで
教鞭をとりますが、第二次大戦勃発に伴い、オッペンハイマーは
ロスアラモス国立研究所の初代所長に任命されます。
ロスアラモス国立研究所で原爆を開発したのです。
この仕事は、世界のパワー・バランスを変え、
後の世界を大きく変えました。
晩年のオッペンハイマー
晩年、オッペンハイマーは成し遂げた仕事の意味を自問し、
後悔の言葉さえ残しています。
戦争時代の原爆開発・使用は国としての
アメリカの中で必要と判断されていましたが、
それ以後の時代では原爆を使わなくても各国が
持つだけで攻撃対象とされたりしますし、
外交で原爆が脅迫の道具として使われていたりします。
そういったことにつながった発明をオッペンハイマーは
「罪」として捉えていて、水爆の開発には反対していたりもしました。
オッペンハイマーには別の罪(?)もあります。
オッペンハイマーの時代は冷戦時代なので
学生時代からの共産党とのつながりを指摘され、
最終的には赤狩りの標的とされ続けていました。
常時FBI(司法省管轄のアメリカ連邦捜査局)の
監視下にあったのです。1965年、がんの為に
ニュージャージーの自宅で静かに生涯を終えました。
合掌。
そして、2023/8/19に追記します。
映画宣伝の思惑でこの夏に「バーベンハイマー騒動」
が起きました。オッペンハイマーの伝記映画と
バービー人形の映画が同日に放映されていました。
その中で、
米国の配給会社が「忘れられない夏になりそう!」
と発言した事に日本法人は遺憾の意を示しています。
米国の商戦主義が終戦記念日を控えた日本人の
感性に「カチン」ときたわけです。
〆
以上、間違い・ご意見は
以下アドレスまでお願いします。
最近は全て返信出来てませんが
必要箇所は適時、改定をします。
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2020/09/21_初稿投稿
2024/02/09_改定投稿
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(2021年10月時点での対応英訳)
Atomic bomb father Oppenheimer
Oppenheimer was sometimes called the father of the atomic bomb, but at UCB (University of California, Berkeley), he was also nicknamed Oppenheim by students. Oppenheimer's life is full of emotions. When thinking about Oppenheimer's life, the first point to look at is that he also has Jewish blood.
The reality that Hitler focused on and persecuted the Jews as an ethnic group and was hostile to them is an immovable fact. The Jews must have felt a great sense of crisis in the world of being taken to concentration camps. In that sense of crisis, the history of the early 20th century may have been that geniuses grew up and united to create new things. The act of manufacturing weapons is not affirmed in such an era, but the debaters at that time also started talking about the persecution of Jews and introduced the flow to the Manhattan Project, and assembled a story that is easy for the public to understand. Probably.
Jewish physicists
Almost 100 years have passed since then, and I suspect that many people have developed this idea, but I would like to emphasize it again. The characters in the concrete world of physics are Einstein, Stern, Max Born, DJ Baume, E. Pauli, Landau, Feynman,
And this is Oppenheimer. (I can only think of it here now, but I will add it later whenever I come up with it.) The progress of physics at the beginning of this century brought about by such members was rapid. Its progress went beyond physics to engineering, industry, and even the political system.
It can be said that it was in sync with the changes in the social system that began in the Russian Revolution in 1917. It seems that the feeling of obstruction at the beginning of this century was greatly changed by various efforts to overcome it. And it seems that the world, where dissatisfaction with Corona has increased and US-China relations have become tense these days, is approaching a dangerous world. Let's make rational judgments and remarks by each person. Direction is important now.
Oppenheimer's interest
Well, in fact, Oppanheimer finally manipulates six words. As a boy, he became interested in mineralogy, mathematics, geology and chemistry, finishing Harvard in three years and studying abroad in Cambridge. From there he goes to the University of Göttingen in theoretical physics and meets Born.
Oppenheimer conducts research under the guidance of Born and jointly achieves achievements such as the Born-Oppenheimer approximation. He then returned to the United States to teach at the California Institute of Technology and UCB, but with the outbreak of World War II, Oppenheimer was appointed as the first director of the Los Alamos National Laboratory. So he developed the atomic bomb. This work changed the power balance of the world and changed the world later.
Oppenheimer in his later years
In his later years, Oppenheimer asked himself what the work he had accomplished and even left a word of regret. It was judged that the development and use of the atomic bomb during the war was necessary in the United States as a country, but in the subsequent era, even if each country did not use the atomic bomb, it would be the target of attack, and diplomacy. The atomic bomb is used as a threatening tool. Oppenheimer saw the invention that led to that as a "sin," and he even opposed the development of the hydrogen bomb.
Oppenheimer also has another sin (?). Since Oppenheimer's era was the Cold War era, he was pointed out that he had a connection with the Communist Party since he was a student, and eventually continued to be the target of the Red Scare. He was always under the supervision of the FBI (Federal Bureau of Investigation under the Department of Justice). In 1965, he quietly ended his life at his home in New Jersey because of cancer. Gassho.
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