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2022年02月27日

南部 陽一郎
【1921年1月18日生まれ2/27改訂】

「南部陽一郎」の原稿を改定します。作業としては関連リンク、内部リンクの改定、小見出しの設定、装丁の改善です。特に提携終了となった「テキストポン」などの商標は順次置き換えていきます。私の文章で遷移語が不足しているようです。遷移語は、「同様に」、「しかし」、「に加えて」、「たとえば」などの単語です。以後加筆します。別途、個別の人物の追加もトピックスのご紹介もしていく予定です。今後もご覧下さい。また、ブログ宣伝でツイッター使います。7/11(日)朝の時点でフォロワーは合計【11691】でした。半年後の2/9時点で‗
@SyvEgTqxNDfLBX‗3385‗Aev2Fz71Tr4x7b1k‗2717‗BBLLpQ8kta98RLO9‗2543‗CKazenoKouji‗3422
なので合計‗6102+5965=【12057】


作業としてフォロワー増は暢気に続けます。
それよりも紹介の内容を吟味します。【以下原稿です】


【1921年1月18日生まれ ~ 2015年7月5日没】




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 戦時下の南部陽一郎


南部 陽一郎は第二次世界戦時に


研究を志しました。所が、時は戦時中。


彼の頭脳は武器製造に貢献できる


と判断されて陸軍のレーダー研に配属されました。


戦時下ではどんな研究をしていたんでしょうね。


そして、どんな気持ちだったのでしょうね。


戦争の前後で東京帝国大学で研究を進めます。


戦後、南部 陽一郎は


朝永 振一郎のグループで研究を続けます。


そして物質を構成する原子を考えていき、


今に続く素粒子論を完成させていきます。



南部陽一郎と自発的対称性


 南部陽一郎の新規性は真空概念の考え直しでしょう。


「特定の対称性をもった物理系がエネルギー


で色々な状態を考えた時に的に、より


安定な真空状態に自発的に落ち着く」のです。


BCS理論でのクーパ対生成はこの考え方


に従っています。電子対生成が安定なのです。


中間子をひもとき、素粒子間の総合作用を考え、その形成に関して実験事実と、つじつまの合う理論を展開していきます。そうした研究を重ね南部陽一郎は「自発的対称性の破れ」でノーベル賞を受賞しています。南部陽一郎の話の組み立てとしては、強磁性体の自発磁化状態(外部からの磁場無しで内部磁気モーメントを揃えている状態)が温度上昇に伴い磁化を失う状態を考え、ラグラジアンを巧みに使い素粒子に適用しているのです。また彼は量子色力学や紐理論でも成果を上げています。



そういえば、


南部洋一郎は私が学生時代に使っていた教科書の著者でした。その時点で米国の国籍を得ていた記憶
があり、研究者に対しての日本での待遇に疑問を抱いたものです。私は理論物理学の研究室に所属して居ましたが、卒業後も研究を続けて研究者として身を立てている仲間は今では数えるほどしかいません。多くは私のように、民間の会社に所属して物理学とは全く関係のない業務に従事しています。


少子化という流れもありますが名誉職としての教授に対して日本社会の扱いは低いとも感じていました。狭き門である事に加えて扱いが低いのです。


それだから


南部 陽一郎がアメリカに帰化した気持ちは


少しは理解出来る気がするのです。




以上、間違い・ご意見は
以下アドレス迄お願いします。
適時、返信改定をします。


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2020/09/10_初版投稿
2022/02/27_改定投稿


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Yoichiro Nambu during the war


Yoichiro Nambu aspired to his research during World War II. However, the time is during the war. Judging that his brain could contribute to the manufacture of weapons, he was assigned to the Army's Radar Lab. What kind of research did he do during the war? And what was your feeling? Before and after the war, he pursued research at the University of Tokyo. After the war, Yoichiro Nambu continued his research with Shinichiro Tomonaga's group. And he thinks about the atoms that make up matter, and completes the theory of elementary particles that continues to this day.



Spontaneous symmetry with Yoichiro Nambu


Yoichiro Nambu's novelty would be a rethinking of the vacuum concept. ・ "When a physical system with a specific symmetry considers various states with energy, it spontaneously settles into a more stable vacuum state." Cooper pair production in BCS theory follows this idea. The electron pair generation is stable.


We will consider the overall action between elementary particles when using mesons, and develop a theory that is consistent with experimental facts regarding the formation of mesons. After repeating such research, Yoichiro Nambu won the Nobel Prize for "spontaneous symmetry breaking". As for the construction of Yoichiro Nanbu's story, considering the state in which the spontaneous magnetization state of the ferromagnet (the state in which the internal magnetic moments are aligned without an external magnetic field) loses magnetization as the temperature rises, the Lagradian is skillfully used. It is applied to particles. He has also been successful in quantum chromodynamics and string theory.



by the way,


Yoichiro Nanbu was the author of the textbook I used when I was a student. I remember he had American citizenship at that time
I was skeptical about the treatment of researchers in Japan. I belonged to the laboratory of theoretical physics, but now there are only a few colleagues who continue their research after graduation and become researchers. Many, like me, belong to a private company and engage in work that has nothing to do with physics.


Although there is a trend toward a declining birthrate, I also felt that the treatment of Japanese society was low for professors as honorary positions. In addition to being a narrow gate, it is not easy to handle.


that is why


I feel that I can understand the feeling that Yoichiro Nambu was naturalized in the United States.


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