先ずドルトンを検索で調べると名前を冠した学校法人が出てきますが、
本記事は英国生まれの物理学者にして化学者である人物に関する記載です。
ドルトンは若い時代に大変な苦労をしています。先ず、家族がクエーカー教徒であったために大学に入れませんでした。当時の英国はイングランド国教会に属していない宗派は差別を受けており、ドルトンはクエーカー教徒だという理由で大学に入る事が出来なかったのです。
その業績を考えてみると何より原子説の提唱が大きいです。ドルトンが研究していた19世紀初頭の物理学会では物質の根源を考えるにあたり直接原子核に相互作用を与えて結果を考察する理論的な土壌は乏しかったのです。実際にドルトンは化学的な反応の側面からアプローチしていき、今でいう「倍数比例の法則」の論拠を考えていく中で、その考え方が以下にして成立するかを考える中で、反応に関わる物質の質量比率を考えた帰結として、原子を想定したのです。そういった考察の中では原子の大きさも主たる関心ではなくても良いのです。後の原子核反応における考察では反応に関わる距離や、反応に無関係な距離が大事になってくるのです。それに反してドルトンの時代の感心事の中心は反応自体がいかにして想定できるかであって、純度を高めた物質の集団同士が反応して別の物質に変質するかという現象が感心事なのです
また、定量的評価での「ジュール」という物理量の導入でもドルトンは大きな仕事を残しています。また、ドルトン自身が色覚異常の人だった為に色覚の研究でも仕事を残していて「ドルトニズム (Daltonism)」という言葉が今でも使われています。
〆
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2022/01/07_初回投稿
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