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2011年08月14日

あの世に行った人達にも理解と敬意を

いろんな人がいます。

残された言葉たちは数多く、溢れんばかり…。

でも、最期の言葉は一つしかありませんね。


有名なのか、無名なのか…そう思うと、私は知っている。だけど、知らない人にとっては、ただの人。
そう、知っている人は、この人は有名な人と思って接することも可能かもしれませんが、知らない人にとっては単なる人。
そして、有名と知っていても、実に単なる人。

弟子から、もっと高尚な最期の言葉を…と求められながら、「死にたくない」と言い続け亡くなったお坊さんがいます。

1481年、88歳で酬恩庵において他界。臨終に際し、「死にとうない」とおっしゃったのは一休宗純です。

彼は実は、遺言書を書いています。
応仁の乱によって焼失した大徳寺を再建したのが一休です。その大徳寺には彼の遺言状が残されていました。 臨終の際、「この遺言状は、将来、この寺に大きな問題が起こった時に開け。それまでは決して読むな」と言い残していたんだそうです。
僧侶たちは、その教えを守り、決して遺言状を開かなかったんだそうです。さまざまな問題が持ち上がる度に「いざとなれば、一休禅師の遺言状 が解決してくれる」という心の支えともなっていたのでしょう。
しかし、とうとう遺言状が開かれたのでした。死後から100年が経過していて、すがる思いで開いた遺言状には、こう書かれていました。
「なるようになる 心配するな」
素敵な遺言書ですね。

いろんな方の最期の言葉を集めた動画を発見。見させていただきながら、本当にその人はどんな人生だったのか…と思いをはせながら、考えさせられました。

人は、最期の瞬間、どう感じるか、そのために生きていると言った方もおっしゃいます。

最期の言葉としてちゃんと聞いていない…そんな思いを抱くような別れもあるかとは思いますが、それでいいのかもしれませんよ。

私が聞いた中学校の時亡くなった同級生の最期の言葉は「もっと勉強したい」だったそうです。お母さんがおっしゃっていました。何かの縁、こんな最期の言葉を教えてもらったり…そんなこともあるのですね。

最期の言葉をちゃんと丁寧に聞いてもらえている人なんて、もしかしたら多くないかもしれませんよ。

聞いてあげようと思って、耳を澄ましても声にならなかったり…そんなこともあると思うのです。

ただ、残っている言葉たちが残された人達を励まします。そして、残っている人たちが、亡くなった人のやってきたことによるメッセージを伝えて、遺族など身近な人達は言葉を受け取ります。




未来は自分でつくるもの。

そう思えば、何と言って死にたいかを作ることもできるはず。

言いたい言葉が言えるような生き方をする…それも一つでしょうね。




お盆に際し、いろんな思いで今年のお盆を迎えている方が多いと思います。
それは、今までも同様の思いでお盆を迎えていた人がいるのだろうとも思います。

今年、初めて、それまで、今感じている思いでお盆を迎えていた人の気持ちがわかる自分になることができたことに感謝。そんな考え方もありますね。


亡くなった人のメッセージは、他の人の身体を借りてでも、ちゃんと伝えたいときは伝えに来てくれますよ。ちゃんと見守ってくれていると信じている人がいるから、見守ってくれているご先祖がいるのです。


お盆の供養をすると、7代前のご先祖までが助かるとか。計算していたのです。7代前って何年くらい前?そして、何人いるの?

そう思うと、今の自分がいるって凄いなぁ…感謝です。

この300年とかで思って歴史を見ると、今は幸せです。
ドンドン幸せになっているなぁ…。
それらをつくってきてくださった一人ひとり。

特攻隊の遺書など、いろんな形でじぶんの命を未来の日本人のために…と使ってくださった方々がいらっしゃいます。

感謝です。

宗教宗派をはじめ、信じるものはいろいろあると思いますが、少し考える機会にするのは、いいのではないでしょうか?
posted by nova at 11:49| 表現
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