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2017年03月26日

相手の信じている宗教を否定しない。

本に書いてあった言葉を改めて読んで…なぜそのようなことが書いてあるのか?と思う気持ちがスーッと納得と理解に繋がった。

日本には、宗教がないと言われたりする。
だけど、日本には脈々と…受け継がれていたんじゃないかと思う。
だから自然とできていたことがあったと思う。
ただ、そのことを宗教と言ったかは別問題だけど…。

神社仏閣など言うけど、シミジミ…思うことは神社で行っている行事って、かなり先住民族の儀式とかに通じるものがあると思う。

古代、甲骨文字が生まれたのは占いの…なんて、そんなレベルの儀式が脈々と生きている世界が当たり前に残っている感じがする。

これはある意味スゴイことでは?って思う。

本にあったことをそのまま書くには、本のページが今は即開けないから、受けた印象で書いてみると、
経典に書いてあることを守るだけにとどまっているなど、狭義に理解し行うと、他の宗教を否定したくなるという。
しかし、本当は何を求めているのかを理解し、取り組むと…争うことは必要ないし、争うこと自体が自分の信じている道ではないことに気づくのだそうだ。

なるほど…

中学生のころに描いた絵を本当に思わされる。

そういえば…いろんな宗教の…って、思いつく限りだけだったけど、その救世主など言われている人たちを描き、その上にさらに糸を描きこみ、操る存在は同じ…なんて絵を書いたことがあった。
なんとなく描いて、なんとなく課題をこなした絵だったけど、先生から説明を求められて答えたから覚えている。奥深いなんて言われても、思いついた絵を描いただけだったけど…って、今思うと、その奥深いというセリフの意味が分かる。


幸せだなぁ…って思う習慣が身についていた私に、どこが幸せなのか?と言われたり…
ありがとうという習慣が身についていた私に、何でもありがとうと言うな、当たり前のことだと言われたり…
まぁ今思えば、そんなビックリして、悩まされたことも全て、幸せだなぁ…って思うことも、有難いと思うことも習慣になっていた自分自体があること自体も不思議だったのかもしれないね。

貧困児童など言われているけど、
ある意味、それまでの教育の在り方では当然予期されていた産物であったハズ。

ただ、見えないように…隠し通していた?
フォーカスするところが違っていたんだよね。


いろんな宗教などを特段に違いを強く思うことなく、どのことも同じように思えるようなところがあったのは、父のおかげだと思う。
父の戒名に「宗逸」
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posted by nova at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) |
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