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2022年03月15日
私が 機会を逃して しまったこと 神職
私は、今の日本人男性平均寿命にあと9年になった。
ボツボツ いろいろと整理の時期だ。
そんなことを考えていて、私の生涯で「大後悔」することがある。
神主の資格を55歳までに取得しなかったことだ。
念のために、大阪国学院の通信制のページを「下記」見てみると、
私の記憶では、年齢制限が55歳までと記憶していたが「65歳」になっている。
スクーリングの時期の記憶は5月の連休が充てられていたが、今は5月の連休ではなくなっていた。
ここの通信制は、身内に神職の方がいて、後継ぎの意思がないと行けない。
と、これは世間で言われていることです。
何事もそうだが、本人の決意や神職の方の推薦や神道に関する知識の有るなしでだいぶ違ってくる。
http://osaka-kokugakuin.or.jp/002-01bosyu01.html
私があきらめてしまったのは、当時のスクーリングの時期が、仕事の繁忙期と重なっていた。
自分だけ抜けてしまう訳にいかなかった。
今考えてみると、もう少し知恵を絞ってスクーリングに行ける体制に持ち込めばよかったと・・・
マァ仕方がない。
それを、私の人生の恩人の一人に話したことがある。当時の年齢制限を過ぎてからだ。
すると「そういうことは、もっと早くいうもんだ」と言われてしまった。
当時の恩師は、その方々との交流が盛んだった時期がある。
それでは、このままにするのか?
しません。神職の養成科には、あちらに行ってから通うことにする。私は出来がよくない。
だから、あちらに行っても、こちらと同じような世界に暮らすのではないか?と思う。
私は、激しい動きが苦手だ。コロコロと考え方や、立場を変えることができない。
同級生などには、よくからかわれたものだ。からかう子は、大体決まっている。
「なに?分からないの、そう。じゃ分かったら遊んであげるから、ちょっとまっててね」
と、こんなことはいつもの事。私は、「早生まれなんで、皆よりちょっと遅れるんだ」
以来、不利になると、早生まれを言い訳に使った。
つづく。
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