2022年04月26日
お世話になった方が亡くなった。
私は、60歳少し過ぎまで漬物の製造販売業の代表取締役をしていた。30年間していた。
当初は、あっても無くてもどっちでもいいような貧乏会社だった。
少し経つと、地元の青年会議所へ入会を勧められた。仕事の役に立つかと聞くと「ある」という。
ならばと入会した。
そこで知り合ったのが、肥料・農薬を扱う商社のトップだった彼だ。
私の職業は、野菜を生産してくれれば「買います・売ってください」と言っても「現金がないと相手にされない」農産物生産者の売り先は、つまりいくらでもあるのだ。
長野県産品の野沢菜は、彼と農閑期に産地に行って、講習会を開いて生産者を確保した。私が原料を買い、彼は肥料や農薬を売るのだ。
まだある「生ワサビ」は、産地に行って農園に飛び込み「売ってください」と言っても「相手にされない」
売り先なんぞに困っていないのだ。買い手は「うるさい」ほどいる。
そこで、彼に相談すると「分かった・手配する」と言って、組合長を紹介された。当初は、組合長の指示に従って、現金同様の支払い。(確か市場と同じ月2回の支払日)で賄っていた。
資金が豊富ということではない。不足分は銀行から、運転資金の借り入れで賄う。並みの会社は銀行借り入れが無くなることはない。借り入れが少なくなると、もっと貸してやるとなって、ヅルヅルと当たり前のようになってしまう。
銀行の考えていることは分かる。貸出利息が収入源なのだ。私は、いつか必ず銀行からは借りなくてすむ会社にすると決めていた。
何年かすると信用してもらえたのだろう。組合長が「この先は、生産者を紹介するので直にしたらいい」
と言われた。そのおかげも重なって、製品作りも徐々に増えた。
そうこうしていると、私の工場で作る出荷品目も量も増えた。好循環が始まっていた。銀行借り入れはしなくなり、その代わり私が会社に貸した。
私は社員と朝の打合せが済むと、後は社員に任せた。私が居ないほうが好いらしい。報奨金を社員に出して、クレームを減らす知恵を出してもらった時期もあった。
原材料が思惑通り「買える」という業界ではないのだ。原材料は思惑通り入ってくる。などというトンでもない勘違いすると、儲かる会社ではなくなる。すると悪循環が始まるのだ。
私に、それなりのいい会社ができたのは、彼の援護によるところが大きい。
お世話になりました。ありがとうございました。
お葬式は、近親者のみという。行かないほうが礼儀でしょうね。ではと、ここでお礼を言うことにした。
昔の写真を広げてみた。私的な事にまでお付き合いしていただいた。
涙が出る。
お世話になって、そのままになってしまった。ありがとうございました。
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