2018年01月10日
日経が東芝の凋落原因を 追っています。
日経は 東芝の凋落原因 を 下記に 明らかにしました。
難しいことが書いてあるように見えます。
が、実に簡単に捉えることができます。それは、
鉄則
「儲からないことはしない」
これを、外れた判断だからうまくいくわけがない。たったこれだけのこと。
発事業「0円買収」の暴走 検証東芝危機
【イブニングスクープ】 2018/1/9 18:42日本経済新聞 電子版
イブニングスクープ
翌日の朝刊に掲載するホットな独自ニュースやコラムを平日の午後6時ごろに配信します。
話題に上ったのは、米子会社ウエスチングハウス(WH)が15年12月に買収した原発建設会社だ。WHが米国で建設する原発4基は、設計変更などで膨れあがった総工費の負担を巡り電力会社や建設会社との訴訟合戦に発展していた。係争を収めて遅れを取り戻すには、建設会社ごと丸抱えして事業を主導するしかない。そう考えたWH首脳陣は無謀な賭けに出た。
半導体メモリー事業の売却や6千億円の巨額増資により、経営再建へ一歩を踏み出した東芝。140年の歴史を持ち、日本を代表する名門企業はなぜ未曽有の危機に陥ったのか。当時の経営判断や対応策をもとに改めて検証する。第1部は名門を崩壊に追い込んだ「原子力暴走」を追う。
「買収した後にデューデリジェンス(リスクの査定)をやることになってました」。2016年11月、都内で開いた東芝の社内イベント。リスクの大きい米原発建設会社の買収に不信感を抱いていた大物OBは、当時東芝会長だった志賀重範を問いただすと、その答えに絶句した。
買収は異様な手順を踏んだ。対象は債務超過に苦しむ建設会社。かつて経営破綻した前科もある。それなのに意思決定に欠かせないリスク・資産査定は後回しだった。債務が膨らむリスクを無視したまま、買収額を0円(債務超過のためWHはのれん代105億円を計上)と算定した。
東芝本体の経営会議は不都合な事実を見過ごし買収を承認した。「複雑な訴訟の解決には買収しかないとの説明だったが、他部門の役員はつっこみようがなかった」。ある幹部は当時を振り返り弁解する。
志賀と会話を交わした1カ月後、OBの懸念は東芝の突然の発表で現実となる。「米原発事業で数千億円の損失を出す可能性がある」。工事の遅れなどで建設会社の負担額が急拡大。最終的に東芝の損失額は7千億円を超え、5500億円の債務超過に転落した。東芝140年の歴史で最大級の危機の始まりだった。
東芝が海外の原発事業に進出したのは06年、6千億円を投じてWHを買収してからだ。「華々しくやりたい」。カリスマ経営者として君臨した社長、西田厚聡の肝煎りプロジェクトだった。
当時は「原発ルネサンス」のさなかにあり、世界で原発建設に追い風が吹いていた。米ゼネラル・エレクトリックと並ぶ米名門企業のWHだ。入札には三菱重工業や日立製作所も参戦し、2千億円と見込んだ買収額はみるみるつり上がった。
高騰する買収額に取締役会では異論もあがり、推進派だった原発担当副社長の庭野征夫も「2800億円を超えると投資回収できない」とブレーキをかけた。「何言ってるんだ。リスク背負わなきゃ、将来もないだろ」。西田は一蹴する。「佐々木の言うことが正しい」。強気の戦略に同調したのが、庭野の部下で常務の佐々木則夫だった。取締役らの懸念はかき消された。
巨額買収の代償は甚大だった。3500億円にのぼるWHの「のれん」が、西田以降の歴代社長から正常な思考を奪ったのだ。買収当時に1兆円を超えていた純資産はリーマン・ショックで4500億円弱(自己資本比率は8.2%)に急減。のれんの減損に追い込まれれば株主資本が吹き飛び、信用不安を招きかねない。WHの失敗はあってはならず、業績不振の隠蔽やリスク査定抜きの企業買収に突き進むことになった。
表面上はうまくいっているように見えた。WH買収後、東芝の株価は上昇基調に入った。同時期に次世代DVDの開発撤退を決めるなど東芝は選択と集中の花形企業となっていく。「成長産業の原発は東芝の柱になる」。西田の声は社内でさらに大きくなり、佐々木の原発部門も「エリート部隊」に押し上げられた。
だが、そのエリート集団は、WHを統制できずもがき続けた。原発の主流となった加圧水型軽水炉(PWR)を開発したWHのプライドの高さは東芝の想像を超えた。東芝がプロジェクト管理などの助言をしてもWHは聞く耳を持たない。西田や佐々木も、子会社とは思えないWHの振る舞いを抑え込めなかった。この弊害が11年の東日本大震災で一気に露呈する。
「そんなことをしたら、大変なことになる」。13年秋の取締役会。佐々木の後を継いだ社長の田中久雄は声を震わせた。WHの米原発事業で工事費用が10億〜20億ドル増える恐れがあるとの議案だった。震災の影響で設計変更が必要になったことが大きかった。連結決算に反映すべきだとの意見に対し、田中は首を縦に振らなかった。「東芝の工事の知見と経験をつぎ込めば、何とかなる」。田中は「のれん」の減損を必死で阻止した。
WHで何かが起きている。だが東芝が抜本策を採ろうとした形跡は関係者の証言をたどっても読み取れない。田中の意を受けた財務部や法務部はむしろ隠蔽に動いた。
「工事費用の追加を100億に収めるようダメ押しでお願いします」
「(不正会計の)調査で何が出てくるか分からないので、口頭でご報告ください」
こうして15年12月の「0円買収」への伏線は張られていった。カリスマから指名を受けた田中だったが、WHや原発部隊から不都合な情報は適宜上がって来なかった。いつしかWHは独立国家のように振る舞っていた。
「先進的な企業統治の仕組みを持つ」。当時、東芝はこう評された。03年には委員会等設置会社に移行し、招いた大物経営者らが経営陣をけん制するはずだった。だがそれも機能しなかった。
嘘は嘘で塗り固めるしかない。「資料は必ずシュレッダーにかけ、タクシーなどで会話することのないように」。14年4月、関係者に一斉メールが送られた。上に刃向かえば、社内競争から振り落とされる。現場の社員も従順すぎた。こうして東芝全体が暴走機関車と化していった。
17年2月、社長の綱川智は巨額損失の発覚を受けて原子力事業を社長直轄にすると発表した。WH買収から11年。経営トップが初めてWHのガバナンス強化に直接乗り出した。WHが経営破綻し連邦破産法11条による再生手続きを申し立てたのは、その1カ月後だった。(敬称略)
難しいことが書いてあるように見えます。
が、実に簡単に捉えることができます。それは、
鉄則
「儲からないことはしない」
これを、外れた判断だからうまくいくわけがない。たったこれだけのこと。
発事業「0円買収」の暴走 検証東芝危機
【イブニングスクープ】 2018/1/9 18:42日本経済新聞 電子版
イブニングスクープ
翌日の朝刊に掲載するホットな独自ニュースやコラムを平日の午後6時ごろに配信します。
話題に上ったのは、米子会社ウエスチングハウス(WH)が15年12月に買収した原発建設会社だ。WHが米国で建設する原発4基は、設計変更などで膨れあがった総工費の負担を巡り電力会社や建設会社との訴訟合戦に発展していた。係争を収めて遅れを取り戻すには、建設会社ごと丸抱えして事業を主導するしかない。そう考えたWH首脳陣は無謀な賭けに出た。
半導体メモリー事業の売却や6千億円の巨額増資により、経営再建へ一歩を踏み出した東芝。140年の歴史を持ち、日本を代表する名門企業はなぜ未曽有の危機に陥ったのか。当時の経営判断や対応策をもとに改めて検証する。第1部は名門を崩壊に追い込んだ「原子力暴走」を追う。
「買収した後にデューデリジェンス(リスクの査定)をやることになってました」。2016年11月、都内で開いた東芝の社内イベント。リスクの大きい米原発建設会社の買収に不信感を抱いていた大物OBは、当時東芝会長だった志賀重範を問いただすと、その答えに絶句した。
買収は異様な手順を踏んだ。対象は債務超過に苦しむ建設会社。かつて経営破綻した前科もある。それなのに意思決定に欠かせないリスク・資産査定は後回しだった。債務が膨らむリスクを無視したまま、買収額を0円(債務超過のためWHはのれん代105億円を計上)と算定した。
東芝本体の経営会議は不都合な事実を見過ごし買収を承認した。「複雑な訴訟の解決には買収しかないとの説明だったが、他部門の役員はつっこみようがなかった」。ある幹部は当時を振り返り弁解する。
志賀と会話を交わした1カ月後、OBの懸念は東芝の突然の発表で現実となる。「米原発事業で数千億円の損失を出す可能性がある」。工事の遅れなどで建設会社の負担額が急拡大。最終的に東芝の損失額は7千億円を超え、5500億円の債務超過に転落した。東芝140年の歴史で最大級の危機の始まりだった。
東芝が海外の原発事業に進出したのは06年、6千億円を投じてWHを買収してからだ。「華々しくやりたい」。カリスマ経営者として君臨した社長、西田厚聡の肝煎りプロジェクトだった。
当時は「原発ルネサンス」のさなかにあり、世界で原発建設に追い風が吹いていた。米ゼネラル・エレクトリックと並ぶ米名門企業のWHだ。入札には三菱重工業や日立製作所も参戦し、2千億円と見込んだ買収額はみるみるつり上がった。
高騰する買収額に取締役会では異論もあがり、推進派だった原発担当副社長の庭野征夫も「2800億円を超えると投資回収できない」とブレーキをかけた。「何言ってるんだ。リスク背負わなきゃ、将来もないだろ」。西田は一蹴する。「佐々木の言うことが正しい」。強気の戦略に同調したのが、庭野の部下で常務の佐々木則夫だった。取締役らの懸念はかき消された。
巨額買収の代償は甚大だった。3500億円にのぼるWHの「のれん」が、西田以降の歴代社長から正常な思考を奪ったのだ。買収当時に1兆円を超えていた純資産はリーマン・ショックで4500億円弱(自己資本比率は8.2%)に急減。のれんの減損に追い込まれれば株主資本が吹き飛び、信用不安を招きかねない。WHの失敗はあってはならず、業績不振の隠蔽やリスク査定抜きの企業買収に突き進むことになった。
表面上はうまくいっているように見えた。WH買収後、東芝の株価は上昇基調に入った。同時期に次世代DVDの開発撤退を決めるなど東芝は選択と集中の花形企業となっていく。「成長産業の原発は東芝の柱になる」。西田の声は社内でさらに大きくなり、佐々木の原発部門も「エリート部隊」に押し上げられた。
だが、そのエリート集団は、WHを統制できずもがき続けた。原発の主流となった加圧水型軽水炉(PWR)を開発したWHのプライドの高さは東芝の想像を超えた。東芝がプロジェクト管理などの助言をしてもWHは聞く耳を持たない。西田や佐々木も、子会社とは思えないWHの振る舞いを抑え込めなかった。この弊害が11年の東日本大震災で一気に露呈する。
「そんなことをしたら、大変なことになる」。13年秋の取締役会。佐々木の後を継いだ社長の田中久雄は声を震わせた。WHの米原発事業で工事費用が10億〜20億ドル増える恐れがあるとの議案だった。震災の影響で設計変更が必要になったことが大きかった。連結決算に反映すべきだとの意見に対し、田中は首を縦に振らなかった。「東芝の工事の知見と経験をつぎ込めば、何とかなる」。田中は「のれん」の減損を必死で阻止した。
WHで何かが起きている。だが東芝が抜本策を採ろうとした形跡は関係者の証言をたどっても読み取れない。田中の意を受けた財務部や法務部はむしろ隠蔽に動いた。
「工事費用の追加を100億に収めるようダメ押しでお願いします」
「(不正会計の)調査で何が出てくるか分からないので、口頭でご報告ください」
こうして15年12月の「0円買収」への伏線は張られていった。カリスマから指名を受けた田中だったが、WHや原発部隊から不都合な情報は適宜上がって来なかった。いつしかWHは独立国家のように振る舞っていた。
「先進的な企業統治の仕組みを持つ」。当時、東芝はこう評された。03年には委員会等設置会社に移行し、招いた大物経営者らが経営陣をけん制するはずだった。だがそれも機能しなかった。
嘘は嘘で塗り固めるしかない。「資料は必ずシュレッダーにかけ、タクシーなどで会話することのないように」。14年4月、関係者に一斉メールが送られた。上に刃向かえば、社内競争から振り落とされる。現場の社員も従順すぎた。こうして東芝全体が暴走機関車と化していった。
17年2月、社長の綱川智は巨額損失の発覚を受けて原子力事業を社長直轄にすると発表した。WH買収から11年。経営トップが初めてWHのガバナンス強化に直接乗り出した。WHが経営破綻し連邦破産法11条による再生手続きを申し立てたのは、その1カ月後だった。(敬称略)
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