金剛證寺(こんごうしょうじ)は、三重県伊勢市朝熊町岳にある臨済宗南禅寺派の寺院である。山号は勝峰山、院号は兜率院と称する。本尊は虚空蔵菩薩である。朝熊山(あさまやま)南峰(経ヶ峯)東腹にあり、「朝熊山」と呼ばれる場合がある。
金剛證寺本堂(重要文化財)
沿革
創建は6世紀半ば、欽明天皇が僧・暁台に命じて明星堂を建てたのが初めといわれているが、定かでない。平安時代の825年(天長2年)に空海が真言密教道場として当寺を中興したと伝えられている。なお鳥羽市河内町丸山539の庫蔵寺(真言宗御室派)は、空海が当寺の奥の院として建立したという。金剛證寺はその後衰退したが、14世紀末の1392年(明徳3年)に鎌倉建長寺5世の仏地禅師東岳文c(とうがくぶんいく)が再興に尽力した。これにより東岳文cを開山第一世とし、真言宗から臨済宗に改宗し禅宗寺院となった。
神仏習合時代、伊勢神宮の丑寅(北東)に位置する当寺が「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、伊勢・志摩最大の寺となった。虚空蔵菩薩の眷属、雨宝童子が祀られており、当時は天照大御神の化現と考えられたため、伊勢皇大神宮奥の院とされた。それらから、仏事に用いられる樒(しきみ)ではなく、神事に使われる榊(さかき)が供えられる、全国でも珍しい寺である。
関ヶ原の戦いから敗走したのちに答志島(現・鳥羽市)で自刃した九鬼嘉隆のゆかりの寺であり、嘉隆にまつわる所蔵品がいくつかある。嘉隆の三男有慶は嘉隆の菩提を弔い金剛證寺に出家し、金剛證寺第12世となった。
木造雨宝童子立像(重要文化財)、平安時代の作
文化財
国宝
伊勢国朝熊山経ヶ峯経塚出土品
陶経筒 1口 奉造立如法経亀事、承安三年八月十一日、伊勢大神宮権禰宜荒木田時盛在銘
(以上第一経塚)
銅経筒 2口
銅鏡 残欠共 2面分
青白磁盒子 1合
(以上第二経塚)
銅経筒 1口 平治元年己卯八月十五日在銘
経巻13巻 内1巻法華経巻三 平治元年八月十四日奥書 内1巻般若心経
線刻阿弥陀三尊来迎鏡像 2面
線刻阿弥陀三尊鏡像 1面
線刻阿弥陀如来鏡像 1面
銅提子 1口
土製外筒 1具
(以上第三経塚)
重要文化財
本堂(摩尼殿)
紙本著色九鬼嘉隆像
木造雨宝童子立像
木造地蔵菩薩立像
太刀〈銘不明伝吉包/拵黒漆太刀〉
銅造双鳳鏡
国の史跡
朝熊山経塚群
所在地 三重県伊勢市朝熊町岳548
位置 北緯34度27分26.68秒 東経136度47分7.56秒
山号 勝峰山
宗派 臨済宗南禅寺派
本尊 虚空蔵菩薩
創建年 (伝)6世紀中ば
開基 暁台上人
正式名 勝峰山 兜率院 金剛證寺
札所等 伊勢西国三十三所観音霊場2番
文化財 朝熊山経ヶ峯経塚出土品(国宝)
本堂、九鬼嘉隆像ほか(重要文化財)
国の史跡
2022年12月02日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11733208
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック