極楽寺(ごくらくじ)は徳島県鳴門市にある高野山真言宗の寺院。四国八十八箇所第2番札所。日照山(にっしょうざん)無量寿院(むりょうじゅいん)と号する。本尊は阿弥陀如来。2015年4月24日、「四国遍路」-回遊型巡礼路と独自の巡礼文化- の構成文化財として、日本遺産に認定されている。当札所以降88番札所まで同文につき、この日本遺産に関する記述を省略する。
本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:極楽の弥陀(みだ)の浄土へ行きたくば 南無阿弥陀仏口(くち)ぐせにせよ
極楽寺の仁王門
歴史
寺伝によれば、奈良時代(710年 - 784年)、行基の開基という。弘仁6年(815年)に空海(弘法大師)がこの地での21日間(三七日)の修法で阿弥陀経を読誦したところ満願日に阿弥陀如来の姿を感得したため、その姿を刻んで本尊としたといい、この阿弥陀如来の後光は遠く鳴門まで達し、魚が採れなくなったため、困った漁民たちが本堂の前に山を築いて光をさえぎったということから「日照山」と号するとされる。
また、空海がその阿弥陀経を読誦した際、難産だった難波の女性が空海の加持により無事安産し、そのお礼にと木造大師像を寄進したのが大師堂の本尊である。そして、明治時代に同じく大阪住吉の女性が安産祈願をし、お告げにより四国遍路に出て無事男の子を出産したお礼にと修行大師像を寄進したのが、大師堂の向かって左前に立つ安産修行大師像である。これらのことから、当寺では子授け・安産の寺として随時祈祷祈願を受け付けていて、安産お守り・腹帯を授けている。
なお、天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火により焼失し、万治2年(1659年)に徳島藩主蜂須賀光隆によって再建されている。
本尊と同体の石仏
文化財
重要文化財
木造阿弥陀如来坐像 - 秘仏本尊、漆箔・古色、像高84.0cm、鎌倉時代作、1911年(明治44年)8月9日指定。
徳島県指定有形文化財
絹本著色両界曼陀羅図 - 縦157cm横107cm、1973年(昭和48年)1月12日指定。
鳴門市指定天然記念物
大杉(長命杉) - 幹周4.65m、樹高15m、1967年(昭和42年)11月9日指定。
石段下の両脇には一対の狛犬
本堂
交通案内
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 高徳線 - 阿波川端駅下車 (1.1km)、板東駅下車 (1.5km)
バス
徳島バス 鳴門大麻線「二番札所前」下車 (0.1km)
道路
一般道:徳島県道12号鳴門池田線 極楽寺前 (0.1km)
自動車道:高松自動車道 板野IC (2.3km)、徳島自動車道藍住IC (5.1km)
所在地 徳島県鳴門市大麻町桧字ダンノ上12番地
位置 北緯34度9分20.34秒 東経134度29分25.25秒
山号 日照山
院号 無量寿院
宗派 高野山真言宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 伝・弘仁年間(810年 - 824年)
開山 伝・行基
正式名 日照山 無量寿院 極楽寺
札所等 四国八十八箇所第2番
阿波西国三十三観音霊場東部第21番
阿波北嶺薬師霊場第11番
文化財 阿弥陀如来像(重要文化財)
2022年11月22日
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