雲辺寺(うんぺんじ)は、徳島県三好市(もと三好郡)池田町白地ノロウチの雲辺寺山山頂(標高927 m)近くに位置する真言宗御室派の寺院で、巨鼇山(きょごうざん)千手院(せんじゅいん)と号す。本尊は千手観世音菩薩。四国八十八箇所第六十六番札所、阿波西国三十三観音霊場(西部)第二十一番札所。
本尊真言:おん ばさらたらま きりく そわか
ご詠歌:はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る
納経印:当寺本尊、毘沙門天(阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神霊場めぐり)、最高峰四国高野のナス形の朱印
本堂、左上には毘沙門天像
概要
四国八十八箇所霊場第66番札所で、所在地は徳島県(阿波)であるが霊場としては讃岐の札所として扱われ、「涅槃の道場」の始まりで、八十八箇所中で最も標高が高い位置(本堂の位置で標高900 m付近)にあり、最後の「関所寺」である。夏は紫陽花が全山一面に咲き、晩秋には紅葉の名所となり、冬はロープウエイ利用が可能なため、雪の風景となる。
展望館の毘沙門天
沿革
寺伝によれば、789年(延暦8年)に佐伯真魚(後の空海・弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り、この地を霊山と感得し堂宇を建立したことを起源とする。空海はまた、807年(大同2年)には秘密灌頂の修法を行い、さらに818年(弘仁9年)に嵯峨天皇の勅命を受けて本尊を刻んで、七仏供養を行ったという。後に「四国高野」と呼ばれ、僧侶の修行道場となり、貞観年間(857年から877年)には清和天皇の勅願寺ともなった。
1098年(承徳2年)火災で全山焼失するも、その後に鹿を追って当地に入った猟師の与成(よなり)は樹上に現れた観音菩薩の威厳にうたれ発心し堂宇の再建を果たした[注釈 1]。 平安末期の中興の祖と云われるにふさわしい願西上人が住職のとき、現存する本尊千手観音と毘沙門天が造られた。 鎌倉時代には、阿波守護の佐々木経高(経蓮)の庇護を受け、七堂伽藍が整えられた。 1311年(応長元年)には、京都西園寺家により寺領が寄進される。 1363年(貞治2年)には足利氏より法華経真読を依頼される。
1577年(天正5年)に土佐を統一し、四国制覇を狙う土佐の戦国大名・長宗我部元親が雲辺寺を訪れ、住職の俊崇坊に四国統一の夢を語ったという。
1987年(昭和62年)に香川県観音寺市側の山麓と雲辺寺ロープウェイによって結ばれ、訪れやすい寺となった。
2019年(令和元年)に雲辺寺開創1230年記念として一般公開の本尊開帳が本堂背後の宝物館で行われた[3][4]。なお、四国霊場開創1200年(2014年)にも行われた。
仁王門
おたのみなす
交通案内
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国)土讃線 – 三縄駅 (10.5 km)
タクシー
香川県側:四国旅客鉄道(JR四国)予讃線 観音寺駅から24分(約11〜12 km) - ロープウェイ山麓駅
道路
徳島県側:国道192号 雲辺寺口 - 約 9km - 境内前駐車場(駐車料金500円) - 境内まで徒歩約10分
香川県側:高速道路 E11 高松道 大野原ICから国道11号・香川県道8号観音寺佐野線を経由して約25分 - ロープウェイ山麓駅(往復大人運賃2200円) - 山頂駅 - 境内まで徒歩約10分
所在地 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763-2
位置 北緯34度2分6.8秒 東経133度43分25.4秒
山号 巨鼇山
院号 千手院
宗旨 古義真言宗
宗派 真言宗御室派
本尊 千手観世音菩薩(経尋作)
創建年 延暦8年(789年)
開基 (伝)空海(弘法大師)
正式名 巨鼇山雲辺寺千手院
巨鼇山雲邊寺千手院
札所等 四国八十八箇所66番
阿波秘境祖谷渓・大歩危七福神霊場(毘沙門天)
阿波西国三十三観音霊場 第21番
文化財 木造千手観音坐像ほか(国の重要文化財)
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