天台寺(てんだいじ)は、岩手県二戸市浄法寺町にある天台宗の寺院。山号は八葉山。
1976年、中尊寺貫主であった今春聽(作家今東光)が特命住職として晋山、本尊十一面観音像(丈六立像)の新たな造立を発念し復興に着手したが、着任から二年、宿痾の結腸癌に斃れ遷化した。のちの1987年、瀬戸内寂聴が住職として後任を勤め(現・名誉住職)復興の責を果たしたことで知られる。また、その際に植えられたアジサイが名物となっており、毎月1回の法話の日と7月に開催される「天台寺あじさい祭り」の期間は、境内に入りきれないほどの参拝客で賑わう。
歴史
寺伝によれば、奈良時代の神亀5年(728年)に行基菩薩が聖武天皇の命を受けて、八葉山と命名し、山中の桂の大木を刻んで本尊聖観音菩薩とし、天皇直筆の額を掲げて開山したものという。草創の正確な時期は不明であるが、寺に伝わる仏像の制作年代から、平安時代には寺観が整っていたと思われる。もともとは山道下の桂の大木の根元から清水が湧き出ていたことから「桂泉観音」「御山の観音」と呼び親しまれており、霊地として崇められていた桂清水が、のちに観音の霊場として、そして古代において日本最北の仏教文化へ発展したものと考えられている。
現存の仏像や遺物等からはまだ奈良時代に遡る確証は得られていない。1980年(昭和55年度)に行われた第五次発掘調査では、現本堂(観音堂)の東側から礎石立建物跡が検出された。これは出土土器と915年8月17日に噴火した十和田火山灰の抱合状態から、成立は10世紀と推定された。仏像の制作年代は10世紀中頃と思われる。これを考え合わせると、天台寺が寺としての体裁を整えたのは10世紀中葉と考えられる。十和田火山の大噴火により、米代川流域の集落は火砕流や泥流、火山灰により大きな被害を受けた。安比川流域においても火山灰被害は甚大であった。十和田湖火山の噴火後に安比川流域の集落遺跡が急増している。これは陸奥から鹿角や津軽とを結ぶ重要ルートの復旧のため農民が移動させられたと考えられる。そして、その農民の鎮護と人々の祈りのために、天台寺が整備されたとも考えられる。
文化財
重要文化財
本堂(附:棟札、造営文書) - 入母屋造、銅板葺きの密教仏堂。万治元年(1658年)、盛岡藩2代藩主南部重直によって造営された。
仁王門 - 本堂と同時期の明暦3年(1657年)に造営。
木造聖観音立像(桂泉観世音) - 像高118.2センチ。像表面の大部分に規則的なノミ痕を残して荒彫り風に仕上げた、いわゆる「鉈彫」の典型的作品で、平安時代、11世紀頃の作と推定される。
木造十一面観音立像
交通アクセス
JR東日本東北新幹線二戸駅より車で20分
JRバス二戸線(二戸駅 - 浄法寺)で15分、「天台寺」下車 参道まで徒歩15分
八戸自動車道浄法寺インターチェンジより5分
所在地 岩手県二戸市浄法寺町御山久保33-1
位置 北緯40度11分54.0秒 東経141度11分11.6秒
山号 八葉山
宗派 天台宗
本尊 聖観音(寺伝・桂泉観世音)
創建年 (伝)神亀5年(728年)
開基 (伝)行基(開山)
正式名 八葉山 天台寺
札所等 奥州観音霊場第33番札所
文化財 本堂、仁王門、木造聖観音立像、木造十一面観音立像(重要文化財)
2024年08月26日
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