旧澤原家住宅(きゅうさわはらけじゅうたく)は、広島県呉市にある歴史的建造物(民家)。同家は、屋号を澤田屋と称し、代々庄屋などの要職を務めた。国の重要文化財。外観のみ見学可能で、基本的に内部は一般公開されていない。
概要
澤原(沢原)家は屋号「澤田屋」で酒造業を営み、江戸時代後期19世紀初頭に庄山田村(現在の呉市市街地)にて庄屋や安芸郡浦組9ヶ村の割庄屋(広島藩における大庄屋・大名主に相当する)を歴任した。
澤原家がこの地に住みだしたのは1729年(享保14年)からで、現在の主屋は1756年(宝暦6年)に再建されたものである。広島藩主浅野斉賢、尊王論の僧侶宇都宮黙霖が逗留した記録が残る。特に「三ツ蔵」とよばれる土蔵が有名。呉中心部から若干離れた位置であったため1945年(昭和20年)呉軍港空襲で奇跡的に損壊を免れた建物であり、歴代当主が最小限の改築のまま今日まで活用してきたという点でも貴重な建物である。2005年(平成17年)国の重要文化財に指定。近年ではこうの史代『この世界の片隅に』での一場面に登場し、いわゆる聖地巡礼として観光客が訪れている。
当住宅の敷地は道を挟んで東西に分かれるが、この道は長ノ木街道と呼ばれ、明治時代初期まで呉から広島を結ぶ唯一の道であった。澤原家が保存していた古文書群は呉市に寄託されている。
澤原家
家系
先祖は伊予国宇和島の武士で、武士をやめ、慶長年間に安芸国安南郡和庄村宮原谷に来住し、農民となった。宮原谷から山田村に転住して、ここで世代を重ねた。初代新左衛門から8代までは新左衛門の名を襲名し、その第3代新左衛門の六男に八左衛門という人が分家して澤原家の始祖となる。
文化財指定
重要文化財(国指定)
2005年7月22日付けで主屋などの建造物9棟と土地が国の重要文化財に指定され、ほかに塀など4棟が附(つけたり)指定とされている。指定物件は以下のとおり。
旧澤原家住宅(広島県呉市長ノ木町)9棟:
主屋
前座敷
表門
元蔵
三角蔵
三ツ蔵(上蔵、中蔵、下蔵からなる)
新蔵
附:中門、社、土塀(三角蔵東方)、塀(主屋北方)
宅地 2,222.89平方メートル(215番、217番1、217番2)地域内の石段、石垣を含む
公開情報
外観のみ見学可。
基本的に内部は一般公開されていない。公開は年6回、春(3月・4月・5月)と秋(9月・10月・11月)に限られている。
交通
広電バス三条二河宝町線右回りのみ、「東中央2丁目」バス停下車、徒歩約3分
広電バス三条二河宝町線、「明神橋」バス停下車、徒歩約5分
駐車場はないため注意。
所在地 広島県呉市長ノ木町2-9
位置 北緯34度15分8.6秒 東経132度34分19.1秒
類型 住居建築
建築年 主屋 宝暦6年(1756年)
文化財 国の重要文化財
2024年07月24日
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