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2013年09月27日
要するに餘程學問の出來た人と見え
要するに餘程學問の出來た人と見え、此目録を檢べると、孟子注の外に、著述が中々多い。即ち周易尚書詩三禮三傳論語、それから諸子に列子の注がある。從來經學の上でも、かく五經全體に手を入れた人は澤山はない。然るにこれ等の著述は見在書目に載つてゐるが、新舊書に孟子注七卷を載する以外(崇文總目にも孟子の注を載す)新舊唐志には全く著録して居ないし、

其人の字號爵里さえ分らなくなつて仕舞つた、一體唐の世には正義と云ふものがあつて、士子が擧業をなすには、これのみを讀んで居れば宜敷い。それで此等の書は一般に誰も顧るものがなく、何時の間にか散佚に歸したのであらう。幸にこの目録がある爲め、唐でも當時の官學以外に獨創の見を有した少數の學者が居て、趙匡啖助のみ其名を擅にする譯にいかぬ事が分るのは、全く此書の御蔭である。
 第三此書に就いて注意すべきは唐の學風と我國の學風が同一であつて、書籍の存佚も大體に於て相同じと云ふ事である。即ち此書を見ると、唐で正義を作つた漢魏注家以外の經書も多く傳來して居た。例へば易尚書論語に於て鄭玄の注、又左傳に於て賈逵服虔の注などもある。これは唐でも同じ事で、唐の代では縱ひ正義で易に王弼、尚書に孔安國、論語に何晏、左傳に杜預を取つても、穴勝其他を排斥した譯でない。又大寶の學令にも、凡教授正業。周易鄭玄王弼注。尚書孔安國鄭玄注。左傳服虔杜預注。論語鄭玄何晏注。云々とあつて其解に「謂非是一人兼習二家或鄭或王習其一注若有兼通者既是爲博達也」とある。結局注家のうちに就いて、其一を選べばよろしかつたのである。デリヘル 品川 http://mendori.angelfire.com/
Posted by salchan at 09:34 | この記事のURL
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