2017年01月30日
関西・鉄道あるある【阪急京都線は京阪だった!?】
今回のテーマは『阪急京都線は京阪だった!?』
阪急が京阪って?
何か事情がありそうですね。
そこで、京阪電気鉄道の歴史を調べてみました。
京阪電気鉄道は、1910年 (明治43年) に淀川左岸(東側)ルートの『京都五条⇔大阪天満橋』間で開業しました。
しかし、軌道条例で敷設された為、路面電車のような併用軌道があったり、急カーブがあったりでスピードが出せず、開業時は 京都⇔大阪 間の所要時間が1時間30分以上もかかっていました。
時間を短縮するには高速運転が出来る新しい路線を作るしかありません。
京阪電気鉄道は、新会社『新京阪鉄道』を設立し、比較的人口が少なく土地買収が容易な淀川右岸(西側)に新しい路線を敷設しました。
(開業後、親会社の京阪電気鉄道に吸収合併され、京阪電気鉄道 新京阪線になります)
『新京阪鉄道』は 1928年(昭和3年)【京都西院】⇔【大阪天神橋】間で開業。
P-6 形 (デイ100形) 高性能車両を導入し、時速100km/hを超える高速営業運転を開始します。
P-6 形 (デイ100形) 電車
Wikipediaより
淀川右岸には、競合する鉄道省(現在のJR)の路線がありましたが、まだ電化されておらず、並走区間では当時の鉄道省の『特急 燕(つばめ)』(蒸気機関車による牽引) を追い抜く程のスピードを誇っていました。
※C-53 形蒸気機関車が牽引する『特急 燕』の営業最高速度は 95km/h 程度であったと言われています。
C-53 形 蒸気機関車 (改)
Wikipediaより
1943年(昭和18年) 京阪電気鉄道は国策により、阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)と合併され『京阪神急行電鉄』となります。
戦後 1949年(昭和24年)に再分割され、京阪電気鉄道として再び独立する事になります。
しかし、新京阪線は十三経由で梅田駅に乗り入れていた為、そのまま京阪神急行電鉄(阪急)に残りました。
以上の経緯で、京阪電気鉄道が敷設した新京阪鉄道が阪急京都線になった訳です。
そんな関係で、現在でめた阪急京都線系統の車両は、神戸線・宝塚線系統の車両とは規格 (電装品メーカー等) の異なる車両が使用されているそうです。
阪急が京阪って?
何か事情がありそうですね。
そこで、京阪電気鉄道の歴史を調べてみました。
京阪電気鉄道は、1910年 (明治43年) に淀川左岸(東側)ルートの『京都五条⇔大阪天満橋』間で開業しました。
しかし、軌道条例で敷設された為、路面電車のような併用軌道があったり、急カーブがあったりでスピードが出せず、開業時は 京都⇔大阪 間の所要時間が1時間30分以上もかかっていました。
時間を短縮するには高速運転が出来る新しい路線を作るしかありません。
京阪電気鉄道は、新会社『新京阪鉄道』を設立し、比較的人口が少なく土地買収が容易な淀川右岸(西側)に新しい路線を敷設しました。
(開業後、親会社の京阪電気鉄道に吸収合併され、京阪電気鉄道 新京阪線になります)
『新京阪鉄道』は 1928年(昭和3年)【京都西院】⇔【大阪天神橋】間で開業。
P-6 形 (デイ100形) 高性能車両を導入し、時速100km/hを超える高速営業運転を開始します。
P-6 形 (デイ100形) 電車
Wikipediaより
淀川右岸には、競合する鉄道省(現在のJR)の路線がありましたが、まだ電化されておらず、並走区間では当時の鉄道省の『特急 燕(つばめ)』(蒸気機関車による牽引) を追い抜く程のスピードを誇っていました。
※C-53 形蒸気機関車が牽引する『特急 燕』の営業最高速度は 95km/h 程度であったと言われています。
C-53 形 蒸気機関車 (改)
Wikipediaより
1943年(昭和18年) 京阪電気鉄道は国策により、阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)と合併され『京阪神急行電鉄』となります。
戦後 1949年(昭和24年)に再分割され、京阪電気鉄道として再び独立する事になります。
しかし、新京阪線は十三経由で梅田駅に乗り入れていた為、そのまま京阪神急行電鉄(阪急)に残りました。
以上の経緯で、京阪電気鉄道が敷設した新京阪鉄道が阪急京都線になった訳です。
そんな関係で、現在でめた阪急京都線系統の車両は、神戸線・宝塚線系統の車両とは規格 (電装品メーカー等) の異なる車両が使用されているそうです。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/5879889
この記事へのトラックバック