そして、熊本地震で人が多くなくなったのは気象庁の誤報による人災だったことが、この記事からよく分かる。
以下の要点は、
・14日は本震で余震の状態だからと避難場所から自宅に帰った
・自宅に帰って、すぐに逃げられるからと1階で就寝
・16日深夜の就寝中にに本震が起こり死亡
というのが死に至った経緯だ。
まず、「前震」を「本震」として報道した気象庁の「余震」発言は自宅へ多くの人を帰らせる効果があった。
そして、震度7クラスではとても立って歩けないのに、玄関近くの1階で寝るという誤った常識を信じてしまっていた、ということ。
地震を体験する車などがあるが、是非、体感してほしい。震度7クラスという家が倒壊するほどの地震の最中にはとても移動して玄関から逃げるなんてことはできない、ということが分かるはずだ。
さらに、地震の時間というのはせいぜい数秒から1分程度。その間に2階が上から落ちてくるというのが典型的な木造住宅の潰れ方なのだ。
2階で寝よう。
覚えておいて欲しい言葉です。
Yahoo!より、
<熊本地震2年>自宅再建か断念か 遺族、揺れる心
4/16(月) 7:30配信 毎日新聞
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180416-00000009-mai-soci
記事より、
・熊本地震の本震から16日で2年。2度目の最大震度7を観測した本震は、2日前の前震を体験した被災者が日常を取り戻そうとした矢先の激震
・2016年4月15日夜、前震の片付けを終えて電気も戻るなどしたことで、両親と3人で自宅で寝ることにした
・京子さんは余震が怖いからと玄関に一番近い部屋に布団を敷いた
・「ドーン。バキッ」という音と強烈な揺れで目が覚めた。自宅は倒壊し、余震でさらに崩れかかる。天井が迫り、恐怖で叫び声を上げた。わずかな空間だけを残し、天井が止まった。父敏幸さん(83)は自力で脱出。島崎さんも消防団員らに助け出された
・14日夜の前震で自宅は傾いた。物が散乱した室内を片付けた恵祐さんは「あぎゃん太か余震な来ん」と言い、15日夜は屋内にロウソクをともして2人で過ごした。その時、恵祐さんは「こん家にゃもう住まれん。明日早起きして解体を頼もう。小さか家ば建てて一緒に暮らすばい」と話して、床に就いた。
数時間後だった。本震で自宅は倒壊し、2人は閉じ込められた。がれきの下から村田さんが救出された時、恵祐さんは村田さんに覆いかぶさるようにして死んでいた
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