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2014年07月07日
程度のいい発達障害者と程度の悪い発達障害者
おはようござうます
ブログ村のヒロさんの言葉を借りれば、私は世の中には「程度のいい発達障害者」と、「程度の悪い発達障害者」が存在すると思います。
「程度のいい発達障害者」は、真面目で誠実な面が前面に出ていて、自分の感情をコントロールすることができ、みんなからも
「変わってるけどおもしろいね。」 とか、「いい人だよね。」 とか言われるタイプ。本人は周りと自分の違いに気ずき、悩むことがありながらも、社会でなんとか生活していける、そんな人達。
「程度の悪い発達障害者」は、自分の感情をコントロールすることができず、人に不快感を知らず知らずのうちに与えてしまい、社会の中で生きるのがとても難しいタイプ。衝動性があり、自分が抑えられず、場合によっては他人に迷惑をかけてしまったりする。
そしてこの「程度の悪い発達障害者」が本人の自覚もなく、なんの支援も受けず、理解者もいない状態で思春期を迎えると、残念ながら犯罪行為に至ってしまうケースが私はあると思います。
以前、「家にいた泥棒」と言う記事で、主人や弟が昔、お財布からお金をとったり、犯罪行為で警察のお世話になったあことがある、ということを書いた時、
「そんなことを書くと発達障害者はみんなそんなことをするように思われてしまうから、気を付けた方がよい。」
というコメントを頂きました。
確かに、私の書き方がまずく、説明不足だった点は否めません。
だから、あの記事に「補足」と言う形で書かせていただきます。
「何もわざわざそんなことをブログに書くこともないんじゃないか。」
そんな感想を持つ方もいらっしゃると思います。
発達障害者が犯罪を起こした時、障害をふせて公表してほしい、と支援団体から訴えがあったりすることも多いと聞きます。
「犯罪を起こす割合は定型の人も発達障害の人も同じ位だという統計がでている」
といいます。だから、犯罪を起こすか起こさないかは、結局その人の資質の問題である、と。
ちがう・・と思うんですね。
主人も弟も、根っからの悪、性根の腐っただめだめ君でないことは、私がよく知っています。
どんなにいやなことが雨あられのように降ってきたり、感情が嵐のように揺れうごいたりしてしまった時でも、こころの底にはきれいな小川がさらさらと流れている、そんな人達です。
ただ、弱いんですね。こころが。
小さなころから敏感で、がんばっても人に追いつけないところがある。
自分が思っていることをストレートに出すと、人間関係がうまくいかないことが多い。
親兄弟からは、「なんでできないんだろ」と、ためいきをつかれる。
みんなに追いつくように、おしりをたたかれる。
理解されない。
孤独。
そんな逆境に打ち勝つことができず、容易に反社会てきな行為に流れていってしまう。
警察のお世話になった人達の割合が、定型の人も発達障害の人も同じ位なのは、定型とカウントされた人の中には多くの認定を受けていない発達障害者が含まれているからだと思います。
主人も弟も認定を受けていないので、定型とカウントされていますから。
反対から考えれば、認定を受けている発達障害者はその時点でまわりの理解を得ていたり、協力者がいたり、自覚があったりするわけですから、犯罪行為に及ぶケースは少なくなるのではないかと思います。
発達障害が原因で犯罪行為に及んでしまう人も、本当は人間味あふれた、誠実で真面目な人達なので、理解者が現れたり、環境が変わったりすると、いい方向へと好転していきます。
主人のお姉さんのご主人は裁判所の検事さんをしていて、田舎に帰った時、「僕たち昔会ってたら敵同士だったね。」
なんて笑い話をしたことがあるのですが、この検事さんが言うには、
「不良少年の更生のきっかけは女」
なんだそうです。
たった一人、自分を理解してくれる人が現れれば、随分と状況がよくなってくるのです。
発達障害という噂の高い黒柳徹子さんの著書、「まどぎわのとっとちゃん」にはこんな言葉がのっています。
「10人いて9人に怒られても、そのうちの一人が理解してくれればいい。」
一人でも、理解者がいればいいんです。その人がいつもいつも味方をしてくれれば。
実際、うちの弟や主人などは、結婚して家庭をもつことによって、運命が大きく好転しました。
この、不良&だめだめ君のサクセス(?)ストーリーは、うちの妹が中学校で生徒に話すと、ふだん先生のいうことなんか聞かないような生徒でも、真剣に身を乗り出して聞き入るそうです。(もちろん発達障害という言葉は使いません。)
発達障害があって周りの理解に恵まれず、かつ、こころの弱い人達の存在を無いことにする、というのはどうなんでしょうか。
一番助けがいるのはそういう人達なんではないでしょうか。
だから、そういう事実があるということを認め、それをきっかけに発達障害というものを一般の人にも知ってもらい、そして理解してもらい、社会全体で考えて行くという動きにつながっていって欲しいと思うのは、私の理想論でしょうか。
重ねていいますが、発達障害といってもいろいろな人がいていろいろな段階があり、多分、認定を受けて自覚があったり支援を受けていたり、感情のコントロールがもともとできるタイプだったりする場合は、障害がもとで犯罪に走るケースはほとんど無いが、障害に気ずいていなかったり周りの支援や理解を得られなかった人は自暴自棄になってしまうことがある、ということを言いたいです。
そしてそうなった場合でも、こころの底から親身になって協力し、分かってあげる人が一人でも現れれば、状況はよくなっていく、ということです。
でもできれば犯罪まで行かせないのが一番ですよね。
早期発見と周りの理解・支援、が大事なのかな と思います。
ぷなっしーさんへ
そうなんですよ ^ ^ 最近調子がいいんです。息子。
ちょっとしたことで戻ってしまうことがあるので、この調子の良さを続けていくために、体調管理などに気をつけていかなければいけないんですけど。
息子さん達、年齢的にも今一番難しい年頃ですもんね。
うちの息子は今度の8月で18歳になります。少し大人になったのかもしれませんね。
お薬が落ち着いてきて、はやく元気になるといいですね。
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ブログ村のヒロさんの言葉を借りれば、私は世の中には「程度のいい発達障害者」と、「程度の悪い発達障害者」が存在すると思います。
「程度のいい発達障害者」は、真面目で誠実な面が前面に出ていて、自分の感情をコントロールすることができ、みんなからも
「変わってるけどおもしろいね。」 とか、「いい人だよね。」 とか言われるタイプ。本人は周りと自分の違いに気ずき、悩むことがありながらも、社会でなんとか生活していける、そんな人達。
「程度の悪い発達障害者」は、自分の感情をコントロールすることができず、人に不快感を知らず知らずのうちに与えてしまい、社会の中で生きるのがとても難しいタイプ。衝動性があり、自分が抑えられず、場合によっては他人に迷惑をかけてしまったりする。
そしてこの「程度の悪い発達障害者」が本人の自覚もなく、なんの支援も受けず、理解者もいない状態で思春期を迎えると、残念ながら犯罪行為に至ってしまうケースが私はあると思います。
以前、「家にいた泥棒」と言う記事で、主人や弟が昔、お財布からお金をとったり、犯罪行為で警察のお世話になったあことがある、ということを書いた時、
「そんなことを書くと発達障害者はみんなそんなことをするように思われてしまうから、気を付けた方がよい。」
というコメントを頂きました。
確かに、私の書き方がまずく、説明不足だった点は否めません。
だから、あの記事に「補足」と言う形で書かせていただきます。
「何もわざわざそんなことをブログに書くこともないんじゃないか。」
そんな感想を持つ方もいらっしゃると思います。
発達障害者が犯罪を起こした時、障害をふせて公表してほしい、と支援団体から訴えがあったりすることも多いと聞きます。
「犯罪を起こす割合は定型の人も発達障害の人も同じ位だという統計がでている」
といいます。だから、犯罪を起こすか起こさないかは、結局その人の資質の問題である、と。
ちがう・・と思うんですね。
主人も弟も、根っからの悪、性根の腐っただめだめ君でないことは、私がよく知っています。
どんなにいやなことが雨あられのように降ってきたり、感情が嵐のように揺れうごいたりしてしまった時でも、こころの底にはきれいな小川がさらさらと流れている、そんな人達です。
ただ、弱いんですね。こころが。
小さなころから敏感で、がんばっても人に追いつけないところがある。
自分が思っていることをストレートに出すと、人間関係がうまくいかないことが多い。
親兄弟からは、「なんでできないんだろ」と、ためいきをつかれる。
みんなに追いつくように、おしりをたたかれる。
理解されない。
孤独。
そんな逆境に打ち勝つことができず、容易に反社会てきな行為に流れていってしまう。
警察のお世話になった人達の割合が、定型の人も発達障害の人も同じ位なのは、定型とカウントされた人の中には多くの認定を受けていない発達障害者が含まれているからだと思います。
主人も弟も認定を受けていないので、定型とカウントされていますから。
反対から考えれば、認定を受けている発達障害者はその時点でまわりの理解を得ていたり、協力者がいたり、自覚があったりするわけですから、犯罪行為に及ぶケースは少なくなるのではないかと思います。
発達障害が原因で犯罪行為に及んでしまう人も、本当は人間味あふれた、誠実で真面目な人達なので、理解者が現れたり、環境が変わったりすると、いい方向へと好転していきます。
主人のお姉さんのご主人は裁判所の検事さんをしていて、田舎に帰った時、「僕たち昔会ってたら敵同士だったね。」
なんて笑い話をしたことがあるのですが、この検事さんが言うには、
「不良少年の更生のきっかけは女」
なんだそうです。
たった一人、自分を理解してくれる人が現れれば、随分と状況がよくなってくるのです。
発達障害という噂の高い黒柳徹子さんの著書、「まどぎわのとっとちゃん」にはこんな言葉がのっています。
「10人いて9人に怒られても、そのうちの一人が理解してくれればいい。」
一人でも、理解者がいればいいんです。その人がいつもいつも味方をしてくれれば。
実際、うちの弟や主人などは、結婚して家庭をもつことによって、運命が大きく好転しました。
この、不良&だめだめ君のサクセス(?)ストーリーは、うちの妹が中学校で生徒に話すと、ふだん先生のいうことなんか聞かないような生徒でも、真剣に身を乗り出して聞き入るそうです。(もちろん発達障害という言葉は使いません。)
発達障害があって周りの理解に恵まれず、かつ、こころの弱い人達の存在を無いことにする、というのはどうなんでしょうか。
一番助けがいるのはそういう人達なんではないでしょうか。
だから、そういう事実があるということを認め、それをきっかけに発達障害というものを一般の人にも知ってもらい、そして理解してもらい、社会全体で考えて行くという動きにつながっていって欲しいと思うのは、私の理想論でしょうか。
重ねていいますが、発達障害といってもいろいろな人がいていろいろな段階があり、多分、認定を受けて自覚があったり支援を受けていたり、感情のコントロールがもともとできるタイプだったりする場合は、障害がもとで犯罪に走るケースはほとんど無いが、障害に気ずいていなかったり周りの支援や理解を得られなかった人は自暴自棄になってしまうことがある、ということを言いたいです。
そしてそうなった場合でも、こころの底から親身になって協力し、分かってあげる人が一人でも現れれば、状況はよくなっていく、ということです。
でもできれば犯罪まで行かせないのが一番ですよね。
早期発見と周りの理解・支援、が大事なのかな と思います。
ぷなっしーさんへ
そうなんですよ ^ ^ 最近調子がいいんです。息子。
ちょっとしたことで戻ってしまうことがあるので、この調子の良さを続けていくために、体調管理などに気をつけていかなければいけないんですけど。
息子さん達、年齢的にも今一番難しい年頃ですもんね。
うちの息子は今度の8月で18歳になります。少し大人になったのかもしれませんね。
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