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posted by fanblog

2014年06月18日

発達障害の親は子供の発達障害に気付かない

 おはようございます晴れ


 私や主人は発達障害っぽい性格ですが、発達障害のことを勉強するまでは、自分たちのことを普通だと思っていました。
 だから子供達のちょっと変わったところを見つけても、特に大変なことだとは思いませんでした。


 例えば、

 睡眠障害がある・・・自分もそう。私は寝つきと寝起きが悪く、眠りも浅かったので、小学生のこ
           ろから授業中にうとうとしていました。
                                      
 落ち着きがない・・・自分もそうだった。私は3年生くらいまで、女の子なのによく廊下に立たさ
           れていました。

 忘れ物が多い ・・・私の方が、勝っていたかも。忘れ物表はいつもトップ。学校へ行くのにラン
          ドセルをしょって行くのを忘れたことがあります。
           
 短気。癇癪持ち・・・子供のころはちょっとしたことですぐ怒っていた記憶があります。兄弟喧嘩
          もすごかったです。

 学校が苦手 ・・・  学校で好きな場所はトイレでした。

 親友ができない・・・できなかったです。

 対人関係のトラブル・・学校、職場を通して常にありました。運が悪いんだと思っていましたが、
           自分で引き寄せていたんですね。

               
  いつもいつの間にか仲間はずれになったりする、これはもう運命なんだと途中から思い始めました。

 だから子供達が学校に行きたがらなくなっても、反抗期で暴言や破壊活動があっても、

 「しょうがない。そのうちなんとかなる。」

くらいに思っていました。

 主人に至っては、学校にはお弁当を食べに行っていただけで、先生からは「おまえら学校に来るな」と言われていたくらいです。


 「倫代と話すのって神経使うなあ。」

 「真也と話すと一回で理解しないから疲れるなあ。」

 子供達が思春期に入ってくるとそんな風に感じることも多かったのですが、これは今の子供たちの特徴なのか、とも思っていて、それが脳の障害によるものとは全く思いつきませんでした。


 さすがに娘は学習障害もあり、他の子と大分違っていて気付いてもよさそうだったのですが、そもそも自分が他人と違うところの多い風変りな人間なので、「他の子と比べて違うところを見つける。」ということに、他の親ほどには一生懸命になれなかったんだと思います。

 違ったっていいじゃないか

 自分の今までの経験から、こんな考えになっていたんでしょう。


 確かに私と主人は、苦労し、傷つき、うちのめされながらもなんとか大人になって、自分たちで生活できるようになりました。

 しかし、うちの子供たちは弱かったのです。

 もっと大切に、「療育」してあげなければならなかったのでした。
そしてもっと小学生のうちにそのことに気付いてあげなければならなかったのでした。

 環境だけはもっと整えてあげなければいけなかったのでした。


 自分が定型発達のお母さんだったらなあ・・・。

 発達障害のカテゴリーの他のお母さんたちのブログを見ては、つくずくそう思うのでした・・・たらーっ(汗)




 ふーさんへ

 息子さん、ソフトテニス部だったんですねexclamation

 いろいろと似ていますね。
だとしたら、ふーさんの息子さんみたいにうちの息子もなれるかも・・・とちょっと期待をしています。

 また近況を聞かせてくださいわーい(嬉しい顔)



 ぷなっしーさんへ

 お元気ですか?
息子さん、調子はどうですか?ロナセンへの移行はうまくいってますか?

 うちも薬はうまくいかないことも多く、大変だったので、心配しています。
ぷなっしーさんもお仕事があり、疲れもたまりやすいと思うので、体には気を付けてくださいね。

 私はやっと歩けるようになりました。(まだまだ痛いですが・・・たらーっ(汗)




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「理科室で描いていってもいいですか」

 おはようございます曇り

 
 昨日娘はお昼の2時くらいに家を出て行きました。

 多分川へ行くのだろう、と思い、私は車で娘の後をつけました。


 やっぱり川の方に歩いていくので、10分位たったところで私は娘を呼びとめ、車にのせて川へ向かいました。


 川に着き、

 「みっちゃん、川だよ。」

と言うと、娘は車から降りて靴を脱ぎ、川へと入っていきました。


 15分位楽しそうに遊んでいましたが、そのうち川から戻ってきて、車の横を通過し、そのまま道路の方へ歩いて行ってしまいました。


 私はまた車で娘の後をついて行き、娘が中学校の門を入って行くのを確認したあと車を学校の駐車場に留めました。


 私が中学校の門をくぐったところで、メガネの男の先生と目があいました。
(2年前から赴任してきた校長先生だったようです。)

 腰を曲げながら杖をついて学校へと入って行く私をすごく不審そうな目で見ながら、先生は言いました。

 「今日はどのような御用ですか?」

 「娘が校舎の中に入ってっちゃったんで、追いかけてるんですよ。」

 私が答えると先生は「はあ?」みたいな顔をしていましたが、かまわず娘を追って、階段を上って行きました。


 校舎に入ると、向こうから若い男の先生と一緒に娘が歩いてきました。娘とは顔見知りのようで、職員室に寄って行くか聞かれていました。

 「みっちゃん、帰ろう。・・・それとも先生に会って行く?」

 私が言うと、娘がうなずくので、職員室に寄って行くことになりました。


 ちょうど娘がいたときにも美術の先生をしていたM先生がいて、来てくれました。そのうち中三の時担任だったB先生もやってきました。

 娘にスパルタ教育をしたA先生や、不登校になった2年の時に担任だった娘の初恋のK先生は、もういません。


 少し話をした後、二人の先生は車のところまで見送りに来てくれました。

 美術の先生であるM先生が娘に画用紙とえんぴつをくれ、「絵、描いてね。」と言うと、その前に理科室があいているという話をしていたのを聞いていた娘が、

 「理科室で絵を描いていきたいんですけど。」

とM先生に言いました。

 「お母さんも帰らないといけないみたいだし、おうちで描こうね。」

 M先生にそう言われた娘は

 「家で描くんじゃなくて、学校で描いていきたいんですけど。」

と答えました。


 なんというなめらかな会話exclamation


 「みっちゃん、ほんとはしゃべれるんだね。」

 私は思わず言ってしまいました。


 娘の頭は今混乱していて、言葉を発するのは大変なはずです。

 よくなってきているのでしょうか。

 学校で描いていきたい、というのが娘の強い願望だったからでしょうか。


 両方かもしれません。
この娘の長文には先生たちも驚いていました。昨日言葉を発することのなかった娘と様子が違っていたので。



 中学校生活というのは本当に大きな記憶として、娘の中で今もよみがえってくるんですね。

 娘は途中からみんなと一緒に勉強するのは難しくなってしまったけど、授業が分からな過ぎて、みんなとの交流が難しすぎて、違う部屋で一人で作業することになってしまったけど、みんなと同じ校舎で、同じ時間の流れの中で過ごした日々は、大切な思い出として残っているんですね。


 また今度、娘と一緒に学校に行ってあげようと思います。




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