2017年09月18日
真田氏ゆかりの地 嬬恋村 〜鎌原城址、大笹宿、大笹関所跡〜
嬬恋村は、その昔、真田一族の上州侵攻の軍事拠点とされていて、羽根尾城や岩櫃城、嵩山城などを攻略し、信州上田から上州吾妻、沼田方面へ領地を拡大していったそうです。鎌原城址や大笹関所跡、無量院の観音堂など真田一族と関係深い史跡があり、真田一族の守護神の山として崇拝されていたという四阿山や真田氏の隠し湯とされていた鹿沢温泉もあり、その周辺は真田忍者修行の地としても知られているそうなんです。そんな、真田氏ゆかリの地、嬬恋村めぐりをしてみてはどうでしょうか。
鎌原城址
1397年に築城されたと伝えられる鎌原城は、1615年、徳川幕府の一国一城令による破却まで、鎌原氏の居城であったそうです。鎌原氏は戦国時代、真田氏の家臣で甲州の武田信玄に使えた武将で、江戸時代には沼田藩真田氏の家老になったいわれています。
大笹宿
大笹の関所を中心に宿場が形成されて多くの旅人で賑わっていたそうです。旅篭、酒屋、桶屋、大工など様々な職業があり、その中でも旅篭は11軒ほどあり、馬方、駕篭屋を兼業していたそうです。せんと屋、油屋など当時の職業がそのまま屋号として残っていたりするそうです。
大笹関所跡
大笹の関所は、1662年当時の沼田藩主真田伊賀守が建設したといわれています。北国街道の脇往還にあたる信州街道は、上州と信州を結ぶ代表的なルートのひとつで人々の交流、物資の流通に大きな役割を果たしていたので、大笹の関所は戦略的にも、軍事的にも、碓氷、猿ケ京などと並ぶ重要な関所のひとつとされていたそうです。関所と接する沢には刎橋が架けられていて、有事には橋を切り落とす仕組みになっていたんだそうです。また、通行手形を持たない人には、抜け道があり取締りの厳しい大笹の関所を避け、危険を覚悟でこの脇道を通行する人もいたらしいです。抜け道の碑が残されているそうです。
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