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2016年11月05日
アイワ ステレオラジカセ CS90X
アイワ株式会社という会社がなくなったのは何年前のことでありましょうか。
この宣伝を見つけて懐かしい思いがわいてきます。
いつの時代も若者は最新鋭という言葉に弱いものです。
このラジカセただのラジカセではありません。
当時の若者が胸をワクワクさせるような言葉がちりばめられています。
「『音キチ』の山田に目かくしテストをした。」の音キチ。
「アイワの『メタル対応』ラジオカセット」のメタル対応。
メタル対応とはメタルテープに対応しているということです。
メタルテープというのは音質が良いとされていました。
ですが、めっぽうお値段が高いためなかなか手が出ませんでした。
また、そもそもラジカセで録音するのは、FMラジオが中心であったため、
もともとの音質がそんなにいいわけでもありません。
おまけにアナログ録音。現在のデジタル録音に比べると雲泥の差です。
さて、それでも当時は少しでも良い音で、満足のいく音で録音しようとしていました。
宣伝内容は
「メタルテープをドライブするための条件。それは、ヘッドの優秀性、充分な録音アンプのリニアリティなど。基本性能の良さだとアイワは考えました。」と
あります。
センダストカードヘッド、13dBまで伸びた録音アンプのリニアリティ、ワウ・フラッター0.07%、
更に操作感覚もクォリティであるという主張から生まれたソフトタッチコントロール。
CS-90Xのライバルはあえてカセットデッキであると宣言します。」
このように高らかに宣言しているのですが、そもそもお値段が高いです。
84800円。
当時としても高かったと思います。
ステレオであること。メタルテープ対応であること。
みんなわかっているけど、やはり高い。
この値段を出せばカセットデッキはそれなりの性能が購入できたと思います。
先ほども書きました通り、メタルテープも高かったので私の購入範囲の外にあったことは間違いありません。
この宣伝を見つけて懐かしい思いがわいてきます。
いつの時代も若者は最新鋭という言葉に弱いものです。
このラジカセただのラジカセではありません。
当時の若者が胸をワクワクさせるような言葉がちりばめられています。
「『音キチ』の山田に目かくしテストをした。」の音キチ。
「アイワの『メタル対応』ラジオカセット」のメタル対応。
メタル対応とはメタルテープに対応しているということです。
メタルテープというのは音質が良いとされていました。
ですが、めっぽうお値段が高いためなかなか手が出ませんでした。
また、そもそもラジカセで録音するのは、FMラジオが中心であったため、
もともとの音質がそんなにいいわけでもありません。
おまけにアナログ録音。現在のデジタル録音に比べると雲泥の差です。
さて、それでも当時は少しでも良い音で、満足のいく音で録音しようとしていました。
宣伝内容は
「メタルテープをドライブするための条件。それは、ヘッドの優秀性、充分な録音アンプのリニアリティなど。基本性能の良さだとアイワは考えました。」と
あります。
センダストカードヘッド、13dBまで伸びた録音アンプのリニアリティ、ワウ・フラッター0.07%、
更に操作感覚もクォリティであるという主張から生まれたソフトタッチコントロール。
CS-90Xのライバルはあえてカセットデッキであると宣言します。」
このように高らかに宣言しているのですが、そもそもお値段が高いです。
84800円。
当時としても高かったと思います。
ステレオであること。メタルテープ対応であること。
みんなわかっているけど、やはり高い。
この値段を出せばカセットデッキはそれなりの性能が購入できたと思います。
先ほども書きました通り、メタルテープも高かったので私の購入範囲の外にあったことは間違いありません。
久我良子さん
個人的には久我良子は竹中直人さんが監督した「119」に出演されているの観たことがあります。
昭和29年のキネマ旬報によれば、
「戦前の女優がよくもっていたような女性的な劣等感がない」そうで
「どんな役の中にも裸一貫の気持ちで飛び込んで行ける」とのことです。
また、「コンプレックスがないことは同時に自意識過剰の欠点もない」と論じ、
「いろいろな役に使える女優」となっています。
さらに「木下作品に出れば木下的な雰囲気の中に入っていけるし、
成瀬作品でも、黒沢作品でも自由になじめる」という
監督の作風に合わせていくことができる女優さんのようです。
「どんな役をやっても、しかも、それをどんなに巧みに演じても、
その女優自身の個性やタイプだけを印象づけてしまう女優」
ではない魅力があるということです。
確かに、「119」の演技でも出すぎず、さりげなく存在感を示していたように思います。
昭和29年のキネマ旬報によれば、
「戦前の女優がよくもっていたような女性的な劣等感がない」そうで
「どんな役の中にも裸一貫の気持ちで飛び込んで行ける」とのことです。
また、「コンプレックスがないことは同時に自意識過剰の欠点もない」と論じ、
「いろいろな役に使える女優」となっています。
さらに「木下作品に出れば木下的な雰囲気の中に入っていけるし、
成瀬作品でも、黒沢作品でも自由になじめる」という
監督の作風に合わせていくことができる女優さんのようです。
「どんな役をやっても、しかも、それをどんなに巧みに演じても、
その女優自身の個性やタイプだけを印象づけてしまう女優」
ではない魅力があるということです。
確かに、「119」の演技でも出すぎず、さりげなく存在感を示していたように思います。