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2016年11月08日
別れても好きな人
昭和54年9月21日に発売されています。
ロスインディオス&シルビアの盤が有名ですが、他にもあるようです。
さて、この曲は演歌らしく、ヒット曲として名を出すのは昭和55年になってからです。
昭和55年という年を振り返ると、音楽は
もんた&ブラザース 「ダンシング・オールナイト」
久保田早紀 「異邦人」
クリスタル・キング 「大都会」
といった曲がヒットしています。
ちょっとオシャレな曲がヒットしています。
これらは演歌ではありませんが、演歌もこうした歌の影響を受けたのかもしれません。
タイトルは、よくありそうなシチュエーションです。
歌詞はといえば、
「別れた人に会った 別れた渋谷で会った
別れたときと同じ 雨の夜だった」
と、ほぼあり得ないように思えるシチュエーション。
しかしながら、何となくあれだけの人間がいるのだから、あっても不思議ではないように思えるところが上手いです。
それに、登場する場所がおしゃれモードな街。
渋谷、原宿、赤坂、高輪、乃木坂。
いずれも、ソフトでオシャレで、メロディーにあっていますし、
歌っているグループの名前とマッチします。
登場するのが、上野、日暮里、鶯谷、錦糸町、葛飾あたりとなると
当時はオシャレ度がグーンと下がってしまったと思います。
東京へのあこがれというものが、東京全体ではなく、
東京のオシャレな街に向けられていたと思います。
オシャレな街を歩いてみたい、という願望。
できれば、恋人と歩いてみたい、という願望がこの歌をヒットされたのかもしれません。
「裏町」や「裏通り」でなく、「北へ帰る」のでもない演歌。
フランス映画の一シーンを切り取ったような演歌です。
ロスインディオス&シルビアの盤が有名ですが、他にもあるようです。
さて、この曲は演歌らしく、ヒット曲として名を出すのは昭和55年になってからです。
昭和55年という年を振り返ると、音楽は
もんた&ブラザース 「ダンシング・オールナイト」
久保田早紀 「異邦人」
クリスタル・キング 「大都会」
といった曲がヒットしています。
ちょっとオシャレな曲がヒットしています。
これらは演歌ではありませんが、演歌もこうした歌の影響を受けたのかもしれません。
タイトルは、よくありそうなシチュエーションです。
歌詞はといえば、
「別れた人に会った 別れた渋谷で会った
別れたときと同じ 雨の夜だった」
と、ほぼあり得ないように思えるシチュエーション。
しかしながら、何となくあれだけの人間がいるのだから、あっても不思議ではないように思えるところが上手いです。
それに、登場する場所がおしゃれモードな街。
渋谷、原宿、赤坂、高輪、乃木坂。
いずれも、ソフトでオシャレで、メロディーにあっていますし、
歌っているグループの名前とマッチします。
登場するのが、上野、日暮里、鶯谷、錦糸町、葛飾あたりとなると
当時はオシャレ度がグーンと下がってしまったと思います。
東京へのあこがれというものが、東京全体ではなく、
東京のオシャレな街に向けられていたと思います。
オシャレな街を歩いてみたい、という願望。
できれば、恋人と歩いてみたい、という願望がこの歌をヒットされたのかもしれません。
「裏町」や「裏通り」でなく、「北へ帰る」のでもない演歌。
フランス映画の一シーンを切り取ったような演歌です。
2016年10月30日
岩崎宏美 聖母たちのララバイ
岩崎宏美さんのコンサートに行ったことがあります。
1982年のことです。
今、自分の目の前に当時のチケットがありますので、わかるわけです。
当時のチケットはそれぞれのコンサートでデザインが異なっていました。このチケットには岩崎宏美さんの写真なんかが印刷されています。
タイトルは「リサイタル’82」。
この年は「聖母たちのララバイ」が大ヒットした年です。リサイタルが一旦、休憩に入ったか、終わったか記憶にありませんが、途中に「紅白歌のベストテン」の中継が入ったのを覚えています。
たしか、同じリサイタルの中で「聖母たちのララバイ」を2回聞いたのではないかと思います。
S席が2800円。今から考えるとずいぶん安いと思います。当時、LPレコードもほぼ同じ値段でした。
現在、CD1枚のお値段でコンサートは見ることができないものが多いですから、安いといえなくもありません。
話が横にそれました。
「聖母たちのララバイ」は火曜サスペンス劇場のエンディング・テーマでした。
それが、いつしか流行し、企業戦士のための曲のように言われるようになります。
歌詞の中に
男はみんな傷を負った戦士
というフレーズがあります。
「男は家を出たら七人の敵がいる」
などと言われた時代でした。
歌詞にもありますが
都会は一種の戦場。
ビジネスという戦場で戦うのがサラリーマンの宿命のように言われた時代でした。
そんなサラリーマン戦士、企業戦士の癒しの歌でした。