2018年01月06日
バラエティー番組で「容姿のモノマネ」ができない
エディーマィーのモノマネは不謹慎
ダウンタウンの浜田「エディーマフィー」で黒人差別だと問題を指摘されている。何かと最近バラエティー番組は何かとバッシングにあっています。
日本では過去黒人のマネはあったが、ここまでネットで話題になったのはあまりない。バラエティー番組だからバッシングが大きくなったのもあるのかもしれない「ダウンタウンのガキ使」は「笑わせる」ことが前提なので「黒塗り」を笑うこと、となってしまったはずだ。
番組では黒人を笑ったりしていないし、浜田のモノマネを笑った。しかし海外からしたら単にそれだけでは終わらないようです。
アメリカ人がした黒人差別の笑い
19世紀ごろのアメリカで広まった白人が黒塗りのメイクをして訛りや動作などを真似て差別的な笑いの対象としていたミンストレル・ショーを彷ふつさせるといった指摘などが飛んでいるよう。同見世物はアメリカでは1960年代の公民権運動により、差別を助長するとされたものの1つとして衰退している。
日本は黒人に憧れている人もいる。
ダンスやラッパーなど黒人の文化的に憧れ、容姿をマネしている。これはバラエティーとは多少は違っているが、日本は差別している社会ではないことは確かで、黒人が「かっこいい!」と思う人もいる。
黒人差別があまりない日本 過去黒人のモノマネは普通にあった。
〇鈴木雅之や田代まさしなどで構成された「シャネルズ」は黒人の歌に憧れての姿だったが、ラッツ&スターとして変更した。
〇オレたちひょうきん族のヒップアップの島崎敏郎の「アダモちゃん」原住民を意識した笑いだったが、当時は差別などという問題にはならない。
〇モノマネ四天王の「ビージーフォー」は度々黒人のシンガーを容姿をマネして歌で魅了していたが、これも黒人歌手に対してのリスペクトだと思う。彼らはコミックバンドだが実力は十分にある。
黒人に憧れてマネするのも差別なのだろうか?
黒人に憧れてマネするのは差別をしているわけでもなく「憧れ」だが、差別になってしまうのはとても残念だ。黒人のマネをしてバカにしたのは「白人」から始まったはずだ。
根深い歴史での差別
アメリカ奴隷制度
1640年代から1865年まで、現在のアメリカ合衆国領域内ではアフリカ人とその子孫が合法的に奴隷化。
南北戦争まで起きる奴隷制度はアメリカの深い歴史がある。
同じ時代で日本では
江戸時代 1641(寛永18)年:オランダ商館を平戸から長崎の出島に移す。
幕末で1866年(慶応2年) 薩長同盟
日本は外国の侵略を考え、日本の未来変えようと変革の時代だ。
このように日本が江戸から新しい世の中に改革しようとしている以前からアメリカ合衆国は「黒人の差別や奴隷」という歴史があり、日本はアメリカと歴史が違う。
「黒塗り」が差別という意識があまりない、これは差別歴史の重みから認識の違いなるのはしかたない。
日本は黒人の差別の意識がないから、テレビでの「黒塗り」が黒人の否定的な差別と結びつくとは思わないし、普段から生活で「黒人への差別」の問題もないので「差別」の実感がないからだ。
心から黒人を差別し、社会的な制裁を行ったのは「アメリカの社会」で「黒塗り」を過去の歴史を反省し抗議しているのもしかたないが、日本にそれと同じ感覚で見られるのも、何か疑問を感じる。
黒人の容姿に対して差別的な言葉を使うなら「差別」だが「容姿のマネ」だけで差別になるのは差別の過剰だ。もっと差別的なことは大いにある。
「モノマネ」ができない?「マイケルジャクソン」
マイケルジャクソンのマネは今までたくさんあったはずだが、あまり問題になっていない。
彼は「黒人」で、過去はまだ黒く「黒塗り」したモノマネもあったはず、今問題にしている黒人の「黒塗り」と同じになるが、しかし今回のようなことはなかった。
世界的にファンも多い「マイケルジャクソン」だが、彼が好きだからマネし「憧れる」、これを差別というなら黒人を否定し、モノマネをしている人を「差別」している。
バラエティー番組が狭くなる
今後、日本のモノマネバラエティー番組などで、黒人になり、歌手なら「歌」、俳優なら「映画のセリフ・モノマネ」ができないというだ。黒人の憧れを形にできないという恐ろしいことになってしまうのではないだろうか?
アメリカで作った「奴隷と黒塗り差別」を日本で同じ感覚で比べてはほしくない。
「差別と憧れ」は違い、「差別」の根本的な問題は別にあるはずだ。
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