大塩平八郎という人物は、天保(てんぽう)のききんで苦しむ人々を救おうとした、大阪のヒーロー。
正義の味方は、絶対、最後には勝つものですが、平八郎は1日で負けました。
大塩の乱を同志とともに起こしましたが、幕府に鎮圧されています。
そもそも、どうして乱を起こしたのか?
1830年代は、ききんばかりでした。
天候が悪く、米がとれなかったのです。
元号が天保のときだったので、天保のききんと言われています。
平八郎が乱を起こす前年は、大阪でも餓死者が出ました。
元大阪町奉行所(ぶぎょうしょ)の役人だった平八郎は、奉行所に、
「何とかしてくだされ!」
と、頼みに行きますが、何も手を打ってくれなかったので、乱を起こしたのです。
負けたことで、ヒーローは自殺します。
プチプチ情報
大塩の乱が起こった1837年といえば、将軍は11代の家斉(いえなり)。
ちょうどその年に、将軍職を退いています。
在位期間は歴代で最も長く、51年。
すごいです。
しかし、もっとすごいのは、側室(そくしつ)が40人もいたこと。
正妻以外の、寵愛を受けた女性です。
そうなると、子供もドンドンジャンジャン生まれるということで、55人もいました。
贅沢な生活をしていた将軍。
しかも子だくさん。
そりゃあ、幕府の財政もひっぱくしていきます。
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