豊臣秀吉(とよとみひでよし)が亡くなったあと、勢力争いが始まります。
石田三成(みつなり)の西軍と、徳川家康の東軍が、天下分け目の戦(いくさ)をします。
それが、1600年の関ヶ原(せきがはら)の戦いです。
場所は岐阜県になります。
家康はこの戦いに勝ち、全国を支配します。
そして1603年、朝廷から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命され、江戸に幕府を開きました。
ここから江戸時代が、約260年続きます。
ちなみに当時、豊臣秀吉の子・秀頼(ひでより)が大坂城に住んでいました。
勢力を持ち続けていたことに不安を感じた家康は、二度の戦(大坂冬の陣・夏の陣)を仕掛けます。
これによって秀頼が滅び、敵対する勢力がなくなります。
プチプチ情報
家康が将軍を退任するとき、書き留められたといわれる人生訓(遺訓)を紹介しましょう。
人の一生は 重荷を負(をひ)て 遠き道をゆくが如し いそぐべからず
不自由を常とおもへば 不足なし
こころに望(のぞみ)おこらば 困窮したる時を思ひ出(いだ)すべし
堪忍(かんにん)は 無事長久(ぶじちょうきゅう)の基(もとい)
いかりは敵とおもへ
勝事(かつこと)ばかり知(しり)て まくる事をしらざれば 害其身(がいそのみ)にいたる
おのれを責(せめ)て 人をせむるな
及ばざるは 過ぎたるよりまされり
大体意味は取れると思いますが、最後の文章がよくわからないでしょう。
やり過ぎるより、足りないぐらいのほうがよい。
そんな意味です。
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