2018年06月03日
まつりの巻 第5帖
肉体一(はじめ)苦しめたら、今度その守護神にはそれだけの見せしめせなならんことになっているのざぞ。神懸かりでまだ世界のこと何でもわかると思うている人民、気の毒出来るぞ。八百八光の金神殿、いよいよにかかりなされたぞ。出雲の大神様、この世構いなさる大神様なり、その心得ない者、人民ばかりでないぞ、三千世界の迷うミタマに所得さして、嬉し嬉しに祀りてやれよ、コトで慰め弥栄えしめよ、コトまつりてΘの列(つら)に入れしめよ。その国々ぞ、頭(あたま)々で、祀り結構ぞ、祀りくれよ。邪(じゃ)祓うとは、邪無くすることではないぞ、邪を正しく導くことざぞ、追い払うでないぞ、まつろえよ。引き寄せて抱き参らせよ、取り違いならん大切事ぞ、
八月十二日、一二Θ
低級霊の神懸かりは肉体を苦しめることになるのでしょう。低級霊の憑依を許した守護神には罰がくだるぞということでしょう。また、その人自体も残念な結果になるそうです。
八百八光の金神、出雲の大神は、かねの神、龍宮の乙姫と共に、世の立て替えの際にご活躍になると「大本神諭」にもあるようです。
出雲の大神は、須佐鳴大神を始めとする大国主神(大己貴尊)他の出雲・国津神の神々のことでしょう。
コトで慰め弥栄えしめるとは、言葉や行動で出雲の神々を祀りなさいということでしょう。
悪と同様に、邪を物理的に無くすのではなく、邪を引き寄せ、関与して正しく導くことが重要だそうです。
八月十二日、一二Θ
低級霊の神懸かりは肉体を苦しめることになるのでしょう。低級霊の憑依を許した守護神には罰がくだるぞということでしょう。また、その人自体も残念な結果になるそうです。
八百八光の金神、出雲の大神は、かねの神、龍宮の乙姫と共に、世の立て替えの際にご活躍になると「大本神諭」にもあるようです。
出雲の大神は、須佐鳴大神を始めとする大国主神(大己貴尊)他の出雲・国津神の神々のことでしょう。
コトで慰め弥栄えしめるとは、言葉や行動で出雲の神々を祀りなさいということでしょう。
悪と同様に、邪を物理的に無くすのではなく、邪を引き寄せ、関与して正しく導くことが重要だそうです。
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