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2016年01月24日

脱力タイムズの副作用!?その2

大好きな深夜番組”全力!脱力タイムズ”について、ちょっとした副作用があることを前に記事で書きました。

脱力タイムズの副作用!?

そしてまた新たな副作用を今日発見しました。
脱力タイムズあるあるとして、「普通の真面目なニュース番組がバラエティ番組のように見えてしまう」ということが挙げられますが、まさに今回もそのパターンでした。

それは、何かのニュース番組を見ていた時(番組名は忘れました・・・)です。

ニュース番組のよくある流れとして、

@話題提供

Aそれを紹介するVTRを流す

B次に、場所を変えたり、少し見せ方を変えた関連するVTRを流す。


というものがあります。
このBの時に「無理矢理こじつけた面白映像」を流すのが全力脱力タイムズであり、このパターンもすっかり定着してきました。

そんな中、今日のニュース番組でもこの@→A→Bの流れでニュースが紹介されました。
その時、BのVTRが流れだしたとき、勿論普通のニュース映像だったんですが、物凄い違和感がありました。

あれ?
二本目のニュースVTRなのに何も面白い映像になってなかったよ・・・?


あ!そうか!
これ普通のニュース番組だったんだ。

頭は「無理矢理こじつけた面白映像」が流れるものだともう思い込んでいて、だから普通のニュース映像が流れたことに違和感を覚えていたということだったんです。
これは正に脱力タイムズの副作用。
恐るべし脱力タイムズ!!

今週はゲスト芸人が「ずん飯尾」さんで、面白いのは面白かったんですが、ちょっと刺激が足りなかったなあというのが正直なところです。
※ブラジルの少女のVTRはかなり危険でした・・・(笑)
ゲスト芸人によって番組の盛り上がり方が大きく変わるというのがこの番組の特徴だと思います。
その中で私が好きなのは「ツッコミ芸人」がゲストに来て大きくイジられるパターンです。

普段ツッコミをする人がいじられるというのは面白いし、それにツッコミがしっかりすると番組が締まる感じがします。
ま、これは個人それぞれによって楽しみどころがあると思いますので、あくまで私の感想です。

また来週が楽しみです。
くれぐれも副作用には気をつけないと・・・。
posted by 霧島もとみ at 2016年01月24日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年01月16日

旅について

今日は小さな旅をしています。

普段の街から離れて、知らない風景が通りすぎるのを車窓から眺めてみたり、初めて渡る橋の上から川の流れを眺めてみたり…。

また、この自分の知らない街で、どんな人たちが日常を過ごし、どんなドラマがあるんだろうかとか想いを巡らせてみたり…。

色々な刺激が入ってくるのがよく分かり、あまりアクティブに過ごさない私でも、なんだか楽しい気がします。

ライフネット生命の代表取締役の出口治明さんの本「人生を面白くする本物の教養」の中では、旅を教養の源の一つとして位置付けています。
"旅の最大の効用は「百聞は一見に如かず」にあります。"
"人間は目で文字を読み、耳で人の話を聞くことで情報を得ると思ったら大間違いです。人は常に五感で情報を得ているのです。"

確かにそうです。実際に体で感じてみなければ分からないことは多いです。それに体で感じてみて初めて、"腑に落ちる"感覚を得られるのでは、つまり経験が自分のものになるということが、あるんじゃないかと思います。

用意されたスポットだけでなく、それ以外のものも少しでも多く感じて、この小さな旅を楽しいものにしたいと思います。

という日記のような記事でした。
posted by 霧島もとみ at 2016年01月16日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年01月11日

テレビの音がうるさいと感じる時

私はテレビっ子です。
子供の頃から当たり前にテレビを見て育ち、アニメやドラマに嵌まり、ゲームに嵌まり、これまでの人生の中で一体何時間あのブラウン管(今は液晶画面ですね)を見つめてきたか分かりません。
もう脳髄の奥まで「テレビ」という存在が浸透していて、朝起きたら3番目くらいにすることはテレビのスイッチを入れることだったりします。

ここまで行くとテレビ好きというかもうテレビ中毒です。

ところが最近、テレビを「うるさいな」と思う時が増えてきました。
そんな時は、何かテレビの音やら光やらが、自分の中に土足でズケズケと踏み込んでくる邪魔者のような存在に感じてしまっています。

何故でしょう?あれだけ好きなテレビだったのに。
考えてみると、それはテレビ以外の事を考える時間が増えてきたからだと思います。仕事のこと、世の中の事、ブログのこと、気が付けば自分の思考に没頭しているなんて事も増えてきました。そんなときにテレビが点いていると、思考のどこかがザワザワ落ち着かない感覚を覚えます。

そして「うるさい」と感じてしまいます。

別にその時はテレビを見ている訳ではないんですよ。意識して聞いているわけでもありません。
なのに「うるさい」と感じてしまう。
これは、意識して見ていなくても、聞いていなくても、脳が視覚・聴覚を通して入ってくる情報に対して無意識に処理能力を働かせているということなんだと思います。自分の意識とは無関係な生理的作用なんでしょうね。調子の良い時(体・精神ともに)は気にならないレベルなのかもしれませんが、少し余裕がなかったりすると、てきめんにこれが分かり、相当イライラすることもあります。

だとすると、やるべきことは簡単ですよね。
テレビのスイッチを切ればいいんです。そうしたら脳に入ってくる情報量が必然的に少なくなりますから、目の前の作業に自然と集中できる、パフォーマンスを上げることが出来るはずです。
勉強するときにテレビを見ながらする人はそういないですよね?だとしたら、日常生活を送る際にも、私のようなテレビジャンキーの人は、まずテレビのスイッチを切ってみることから生活を改めてみたら、負担を減らした生活が送れるかもしれません。

テレビのスイッチを消して、
自分のやる気スイッチを入れよう!

なんてね。
posted by 霧島もとみ at 2016年01月11日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年01月10日

最近のライトノベルについてという話

飲み会の席で「最近のライトノベルについて」という話題になりました。

ライトノベルという響きはとても好きです。
一時期はライトノベルを好きで読んでました。

「ロードス島戦記」
「魔術師オーフェン」
「ブギーポップは笑わない」
「フォーチュン・クエスト」

が、”ライトノベル”と聞いて私が思い出す読書歴ですね。
読んでいたころの甘酸っぱい冒険心がくすぐられて、ちょっと懐かしいです。
主人公が悩みながら、苦労を重ね、知恵と力、勇気で道を切り拓いていくというストーリーが多かったような気がします。

ところが若い人に聞くと、最近のライトノベルでは

「主人公がチートで最強」
「主人公はモテる気は全くないのに、やたらと異性にモテる」
「その異性からは『こんなに好きなのになんで気付いてくれないの!』というように思われている」


という設定が多いそうです。

「えっ、そんな話を読んで、何が面白いの!?」と思わず聞き返すと、
「私も分かりませんが、でも、そういう話が多いですよ」ということで、今のライトノベルにどっぷり浸かっている意見は聞けず、参考にはなりませんでしたが・・・

この話を聞いた時に思い出したのは、ドラゴンクエストUの「もょもと」の事です。
この名前にピンと来る人は少なくとも30代以上でしょう。
そう、ファミコンのドラクエUです。
ドラゴンクエストUで復活の呪文を「ゆうてい みやおう きむこう ほりいゆうじ とりやまあきら ぺぺぺぺ・・・・・」と入力すると、主人公が「もょもと」というレベルがかなり高い状態でスタートできるという裏ワザがありました。
まさにチートです。
序盤〜中盤では全く無敵で、あらゆる敵をあっさり倒してしまうその強さを最初は「面白がり」ましたが、やがてそのゲームバランスの崩れた強さに「これ何が面白いの?」と白けてしまいました。

この「もょもと」と同じ状態が今のライトノベルで流行っているのだとしたら、これは、私が読むとしたら相当面白くないんじゃないかと思います。いや、最初は面白いと思いますよ。でもそれはあくまで物珍しさだけであって、どっぷりと嵌り込むような面白さ、ドキドキはらはらとか、そういう面白さとは違うんでしょうね。

何でしょうね、時代の流れなんでしょうか?
「楽して勝ちたい」
「自分は何もしないのに異性の方から寄ってきて欲しい」
という甘えた欲望を満たすような手段にライトノベルが成り下がってしまっているとしたら、かつてのライトノベルファンとしては、何とも悲しい限りです。

私は、「ライトノベルは面白いんだ!文学や漫画とは表現方法が違うだけで、人間の感動が込められた芸術なんだ!」と声を大にして世界の中心で叫びたいです。

ただ今はそれを叫ぶことしか出来ない、単なる読み手でしかない。
自分の無力さを噛み締めながら、じゃあ何が出来るんだ?ということを自分に問いかけたとき・・・

とりあえずは昔読んだ面白い本を紹介することくらいかな?
うーん、弱いですね・・・
ま、考えていきたいです。
posted by 霧島もとみ at 2016年01月10日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年01月05日

睡眠時間の確保・・・

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ふと、睡眠時間を削ってしまっている自分に気が付きます。

どうも色々本を読んでいると、睡眠時間を確保することの重要性について結構触れられています。
適切な睡眠時間を確保することでパフォーマンスが向上し、結果として、睡眠時間を削るよりも効率が良くなると。
「何よりも睡眠時間の確保に気を使う」とまで言い切る人もいるくらいです。

しかし自分自身を省みると、全く出来ていません。
なぜ出来ていないだろうか?とちょっと考えると、それはすぐに分かります。

時間を無駄にしているからです。

格好良く言えば「タイムマネジメントが出来ていない」のです。

例えばツムツムに熱中していたら20分が過ぎてしまった。
ちょっと漫画を読んだら20分過ぎてしまった。

本も読みたい。
筋トレもしたい。
食器洗いはしなければならない、洗濯も・・・としていると、あっという間に時間は過ぎ、気が付けば今日も深夜2時を回っていました。
そして今もブログの記事を書いています。

つまり計画性が無いのです。
そして物事の優先順位も付けられていない。これを解決しなければ睡眠時間の確保なんて夢です。

まずは時間が有限であることを強く認識すること。
次に、その中で自分が出来ることは限られていることを知り、優先順位をつけること。
時間が不足するものは諦めること。
ということが必要なのかもしれません。
そう考えると、今年の目標の一つに「睡眠時間の確保」というものを加えてみると、メリハリの付いた生活を送ることのできるきっかけになるかもしれないな、と、今思いました。
posted by 霧島もとみ at 2016年01月05日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年01月04日

「年末年始はテレビが面白くないねえ」という不満の言葉について


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※記事とは全く関係のない正月のイメージ写真です。。。


この言葉、聞いたことがありませんか?
そういえば毎年誰かから聞いている気がするなあ・・・と思い、今回の年末・年始に個人的に統計を取ってみました。

対象は40歳以上の女性3人。
(母数少なっ・・・!)

なんと・・・

100%でした。

全員が口を揃えたように「あれよね、年末年始はテレビが面白く無いね」と言ってしまいました。
きっと世間にもそう言ってしまう人が(特に年配には)多いんじゃないかと思います。

でもね、決してそんなことは無いんですよ。
年末年始に向けてどの局もここぞ!と勝負をかけてきていますし、マンネリ化しているなーと感じるものもそれなりに、新しい企画ものは新鮮味があって、結構面白いんです。特に年末年始の深夜番組はアツイですよ。
ただ、見てみなければその面白さは伝わりません。

ちなみにですね、そう口を揃えて言っていた3人は、全員年末年始のテレビ番組を見て、大笑いしていましたけどね。。。
だからやっぱり面白いんですよ。

じゃあなぜ彼女たちは「年末年始はテレビが面白くない」と言ってしまうのでしょうか?
怖いのはこういう言葉が無意識に出ていることだと思います。

何が原因なんでしょうか?
一つは普段のテレビ番組が一旦中断されることへの不満でしょうか。
あるいは、普段目にしない「目新しい」番組を見ることへの抵抗が大きいのかもしれません。
どちらの場合でも言えることは、「普段と変わることへの抵抗」がこのようなテレビへの悪口になって表面化しているんでしょう。

これって、思考の硬直化の兆候じゃないか?とふと思いました。

私も気を付けたいと思います。

でも、そもそもテレビがつまらないならつまらないで他の事をすればいいし、話に華を咲かせてもいいし、楽しいことは他にいくらでもあるんですよね。
無意識のうちにテレビへの不満という形で感情が現れるということは、それだけテレビに依存しているということの現れかもしれません
今や数あるメディアの一つでしかないんですけれどね。

その点でも、気を付けたいです!

もし次の年末年始に、この台詞を聞いたり、または自分で言ってしまったりしたら、この記事のことを思い出していただけると面白いかも・・・です。
posted by 霧島もとみ at 2016年01月04日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2016年01月01日

日本くぎづけ大学に考える”言葉の力”

年末の特番ということで、日本テレビで放送されていた「日本くぎづけ大学」。

副題として「五郎丸ポーズ作った女性コーチが伝授するメンタルを強くする法」と名付けられ、番組の後半では、ワールドカップラグビー日本代表のメンタルコーチを務める荒木香織さんをゲストに迎え、今年流行した”ルーティン”に関するエピソードを紹介していきました。

この内容がとても良かったです。
”五郎丸ポーズ”という内容とは少し違うかもしれませんが、私はこの番組から”言葉の力”を一つ学ぶことが出来たと思います。

それはどういうことかといいますと・・・

まず、荒木さんが五郎丸ポーズを作り上げる過程で取り組んだ事は、
「感覚を文字に置き換える」
ということでした。

感覚は有意識・無意識を含めた情報を総合的に結びつけたもので、それぞれの人間に固有のものです。
また、絶えず移り変わり、形をとどめることがありません。
記憶という形で蓄積されていくとは思いますが、それを「感じたときの状態」で100%再現することはかなり難しいことだと思います。
それが感覚というものです。

番組では荒木さんが「文字で言うと?」「考えてる?」と五郎丸選手に繰り返し問いかける映像が流されていました。これは、その瞬間に「五郎丸選手が感じていた感覚」を後で再現すること、つまりルーティン化する手助けをしていた、という事なのだそうです。
これを聞いて、感覚という曖昧なものに、「言葉」というフレームを嵌め込むことで、記憶の中から再現することを容易にするための仕掛けが作れるのだろうなという事です。
分かりやすく言えば、トリガーとか、タグといった類のものだと思います。

感覚を単独で思い出すことはなかなか難しいです。
しかし、特定の言葉や行動に「その時感じていた感覚」を結び付けることができれば、次はその言葉や行動で「その時感じていた感覚」を呼び起こすことができるのならば、感覚の再現率は飛躍的に上がるのかもしれません。
(五郎丸選手もインタビューの中で「波が小さくなった」と話していました。これは感覚の再現率が上がったということの証だと思います)

これが私がこの番組から学んだ「言葉の力」です。

また、このエピソードが示唆するのは、「言葉」というものは一見共通の記号でありながら、実は個人個人に固有のものだという事です。
言葉にはそれぞれの個人が固有の記憶・感情をリンクさせているからです。
五郎丸さんに「ドレミファソラシド」という言葉が浮かび上がらせるイメージと、音楽家が「ドレミファソラシド」と聞いた時に浮かび上がらせるイメージとは、全く別のものになるはずです。

例えば「父」という言葉一つとっても、円満な家庭に生まれ育った人は何だか優しいイメージを連想するかもしれませんが、ギャンブル狂で家庭を壊してしまった父親を持つ子どもにしてみたら相当に暗いイメージを連想させるでしょう。

言葉を他人に対して使う際には、このことに留意しておくことで、話の「ズレ」を防げると思います。

ということで、「言葉」に対しての思考を深めるきっかけになる、良い番組でした。
面白かったです。
タグ:言葉
posted by 霧島もとみ at 2016年01月01日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2015年12月24日

クラシック・コンサートにて(無神経さの暴力)

クラシック・コンサートに行ってきました。

歴史の中でふるいに掛けられた名曲が数々の演奏家や指揮者によって磨き抜かれ、今のクラシックシーンがある訳ですが、やはりとても良い物です。

ストリングスの柔らかで表現力豊かに響く音、金管楽器の爆発するような音圧で鳴らす音など、生で聴く楽器の音の迫力は凄いですね。「今、そこで、人間によって楽器が鳴らされている」もので作り上げられる音楽の生々しさ、まるで人間の情熱が空気の振動を伝わって打ち込まれてくるかのようです。

中学校の音楽の授業で聞いた音楽(音楽室のスピーカーで聞かされたやつですが・・・)とは雲泥の差で、これが音楽というものだ!という説得力のある存在は、こういう生の演奏会に聴きにいくことを授業の一貫で出来ないものかと思ってしまいます。
授業の音楽じゃ、全然「音楽」というものを伝えられていないと思うんですよね!
今になってですが。

さて、今日は少し気になったことがあります。

それは、演奏途中で会場に出入りしている人がちょっと目についたこと。
私の記憶というか、勝手な感覚なのかもしれませんが、クラシック演奏会では「演奏途中で会場には出入りしない」「遅れて来ても、演奏が止まるまでは中に入れない」という暗黙のルールがあったように思います。
ちょっとの音が響くホールではこれ当たり前のことだと思っていたんですが・・・

今日はそれがやたらと目についたんですよね。
いや、正確に言えば耳についたんですが・・・あれ、他のお客さんも気になったんじゃないかと思うんです。

ドアの近くに立っていたスタッフらしき人も何も言わないんですよ。
あれ、ひょっとして、自分の勘違いだったのか?と自分の記憶を思わず疑ってしまいましたね。

チケットを買っているかもしれませんが、公共の場である以上、そこに参加する人間にも一定の責任があると思います。
遅れて来たのがそもそも悪いし、チケットを買ったんだから途中からでも聴く権利があるんだよ!と言うかもしれませんが、一方で大多数の時間通りに会場に入って集中して聞いているその他大勢の観客の「音楽を楽しむ権利」を大いに阻害するんですよ、その行為!
どちらが正当か?考えれば簡単だと思います。

それにこういう舞台芸術は、演者だけでなく、観客も一緒につくり上げるものなんですよね。
一体になって紡ぎあげようとしている芸術性をも壊してしまうかもしれない、恐ろしい行為なんですよということを自覚して、止めて欲しいものです!!

あ〜〜〜〜〜〜無神経。
posted by 霧島もとみ at 2015年12月24日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2015年12月20日

今週の全力!脱力タイムズ

今週は・・・凄かったです。
どれだけ畳みかけるのか!という鬼のような展開に笑いが沸騰しました。

芸人ゲストは麒麟の川島さん。
他のゲストは、伊藤沙莉、佐久間由衣さん。

最初の自己紹介から、女優枠の伊藤さん、佐久間さんがそれぞれ麒麟の川島さんの「麒麟です」をパクって「伊藤です」「佐久間です」と軽いジャブ。

さて、まずは同性婚をテーマに話が進められますが、ここで芥川賞作家の羽田圭介さんが解説員として紹介したのが「おススメの 恋愛のハウツー本」として「ぼくは愛を証明しようと思う。」でした。

※私の紹介記事はこちらです。

私は既にこの本を読んでいましたので完全に不意を突かれて「何!?」という感じでしたが、羽田さんが最初は淡々としゃべっていたのが途中からじわじわと声を張り上げ、興奮気味に説明に没頭していくという小技を見せます。
勿論意識してのことですがその様子がちょっと怖いです。いやむしろ、気持ち悪いです。
それを麒麟の川島さんがすかさず突っ込む!羽田さんがさらにヒートアップする!という掛け合いでまず最初の大笑い。

次に、年末=大掃除ということで「頑固な汚れを落とす!イチオシのお掃除術」が紹介されましたが、ここで掃除術として紹介されたのが「十字架によるエクソシスム」。
VTRでは気が狂ったように暴れる女性から悪魔祓いをしようとする謎の神父の姿が映し出され、「魂の掃除を・・・」というナレーションが入ります。
最高ですねこのブラックジョーク!

”この年末の大掃除
どちらの方法で汚れを落としますか?”


このテロップが凄まじくダークに染まって見えてしまいましたよ。

続いては川島さんをいじります。
バレーボールの真鍋監督、女優の桃井かおりさんを引き合いにして、「真鍋さん」「かおりさん」に対してのメッセージを川島さんにやらせるという、これまた凄い展開。
そうですよね、どう聞いても「真鍋かをり」さんに向けたメッセージにしか見えませんよ。新婚の川島さんを捕まえてこのネタをやらせるフジテレビ・・・。鉄板といえば鉄板ですが、徹底ぶりが凄まじいです。
ニヤリな笑いが止まりませんでした。

それにしても川島さんは力があります!
この番組はターゲットにされる芸人枠のゲストの力量で面白さが大きく変わるんだなということを今回は強く実感しました。
自分で一生懸命ボケておいて、次の瞬間にすかさず普通に切り返す、あの切り返しの早さとキレの良さは秀逸ですね〜。

そんなわけで今週もとても楽しい「全力!脱力タイムズ」でした。
また来週も楽しみです。

正月の深夜に特別番組でやってくれないかな・・・。
posted by 霧島もとみ at 2015年12月20日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと

2015年12月13日

M-1グランプリについて、松本人志さんのコメント

日曜日の「ワイドナショー」で松本人志さんのコメントの内容がとても腑に落ちました。

”M-1のことになると「お笑いに順位をつけるのはどうか」という声が上がる。
でも、一方で、「順位をつけて欲しい」という芸人たちが大勢いる。
何も突然楽屋に行って「あなたは予選不合格です」とか言う訳じゃない。
こういう順位付けの場があることはいいことだと思う”

そういえば、世間にどこか「競争」を悪しきものと考える風潮というか空気のようなものを感じることがあります。
競争というものが、まるで人間の存在に差をつける、さらに言えば何か「烙印」を弱者に押し付ける類のものだという発想です。
ですが一方、例えばラグビーワールドカップで日本が予選で歴史的勝利を収めたといえば、何か手放しで喜ぶ。オリンピックではメダルを逃した選手に冷ややかな声が寄せられる、という面が在るわけです。
(同じ人間が同じように言っている訳ではないかもしれませんが・・・)
この大きな矛盾に対していつも違和感を感じます。

その矛盾を、鋭く結論付ける一つが、この松本さんの意見ではないかなと思います。
視聴者の立場としても、こういう独特の緊張感を孕む場で、その環境下で生み出されるライブ感のある笑いというものは、独特でとても面白いと思いました。

あと、順位付けに対して嫌な感情を覚える背景には、「正解病」というか、それが価値の全てだと考えてしうまうという思考習慣が在るのではないかと思います。
順位付けに敗れたことで、存在全てが否定されるようなものの言い方がそれですよね。
価値観って、そんなシンプルなものなのかなあ、と思います。まあ、分かりやすい構図だから、そうなのかもしれあいですけどね。
posted by 霧島もとみ at 2015年12月13日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと
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霧島もとみ
他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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