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2018年04月05日

現実に向き合うこととは?言葉とは?深く考えさせてくれる良書です「ひとまず、信じない 情報氾濫時代の生き方」押井 守

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映画「攻殻機動隊」で世界中に衝撃を与えた押井守さんの本です。

攻殻機動隊で描かれたのは、人々が電脳によって直接電子情報のネットに接続された社会で生きる人間の姿でした。現実の世界では電脳化はまだ実現していませんが、スマホによって多くの人間が間接的にネットに接続された社会にある今、未来を描ききった押井守さんの考えに触れておくことは価値があります!

どんな本だった?


序論から「どんな本か」を表す箇所を抜粋して紹介します。

<結論>
・不自由な人間として、本質を見極め、虚構と真実を手玉に取り、うまくやっていくしかないのである。
・もう少し、この肉体の中に閉じ込めておいて、その核が命じるものに従って生きて行くしかない。
<そのためのノウハウ>
・幸せになるためには何をすべきか
・社会の中でポジションを得ていくにはどうしたらよいのか

もう結論と内容が明確に示されていますが、当然ながら、これだけだと何がどうなのかという事は分かりません。

本論ではこの内容が具体的にかつ平易な言葉で示されていますので、押井守作品に触れたことが無い人でも良く分かるような構成になっていると思います。

押井さんの映画を見た時には「相当癖が強い奇才なのだろう」と勝手に考えていましたが、この本で受けた印象は、自分の思い込みとは全く異なるもので驚きました。

とても論理的で、現実的。「我が強い」というよりもむしろ「社会を一旦受け止めて、その中でどう生きるか」ということを考えているという印象。

他者への配慮もそこかしこに感じられます。
「俺はこうだから他人のことなんて知らない」なんて姿勢は微塵もないんです。
むしろ全然、普通。
内容だけでなく、著者の人間性にも好意が持てる本です。

読み終わる頃には、序論に書かれていた結論が「こういうことか…」と自然に理解できていると思います。

主張や論理構成などが普段考えていることに比較的近く、また、経営的な思考方法にも通じるものがあるなど、受け取りやすいものでした。
また、この本を読むことによって、思考の一部に新しいエッセンスが加えられるとともに、具体化・言語化されて収斂されたような感覚がありました。あ、言語化という言葉を使いながら、感覚って言ってしまうと嘘ですね。

さて、その中で強く印象に残った箇所を3つ紹介します。

強く印象に残った点


色々と示唆に富む内容のなかで、次の3つの事が強く印象に残りました。

・優先順位をつけるということ
・可能性とは何か
・結局は、言葉の問題だと思う。


それぞれ、少しだけ紹介します。
まず一つ目です。

・優先順位をつけるということ

最も重要なことを見極める。このことが人生において最も大事なことである。

この本の中では「優先順位を見極めることが重要だ」という指摘が繰り返されます。その背景にあるのは、「人生そのものや、また、自分が得られるものも全てに限りがある」という考えです。
逆に言えば、全てが無限にあるのなら何も考えなくていいし、優先順位も不要。ということは、話を展開すると、優先順位を付けられていない状態は「時間や資本が無限にあるという夢想の中で過ごしている」ということです。

ところが自分を振り返ると、確かに仕事や作業では優先順位は意識することが多いけれど、こと私生活や人生の生き方というものに関しては、優先順位を明確には意識できていないように感じました。
痛烈な指摘を受けた気がして、背筋がぞっとしました。自分は、時間も物も無限にあるような錯覚の中で日々を過ごしていたのだと。

・可能性とは何か

可能性という言葉について次のように触れています。

可能性をいつまでも留保するということは、いつまでも選択しないということであり、それは可能性がないということだ。可能性を担保し続けることは、可能性を殺すことなのである。

この言葉も刺さりました…。

今までは「可能性」という言葉に対して、何となく万能なイメージを持っていました。可能性とは無限大であり、「選択肢が無限にある=多くの可能性がある」若い人間にはそれだけで無限の価値があるというような認識を持っていました。
こんな考えを押井さんは一蹴します。押井さんの「可能性」という言葉の概念は、私のそれとは異なり、「何かが選択される前の状態」でしかないのだと受け取りました。
ああ、自分は「可能性」という言葉に翻弄されていたのだなと、痛みを伴う救いを受けた気がしました。
さらに押井さんは続けます。

そして可能性とはすべてを選択できることではなく、たったひとつを選択できるということなのである。

可能性とは、「何かが選択される」という結果が生まれた事後に「可能性があったね」と表現されるようなものでしかないという意味だと理解しました。だとすると、私が考えていた可能性という言葉の認識は改めなければならないと感じました。
しかし、同時にモヤが薄れていくような感覚がありました。
自分は「可能性」という言葉に振り回されていたのかもしれないなあと。

可能性とは、選択して初めて生じる過去の残骸でしかないのだ、実行しない「可能性」には何の価値もないのだということを肝に命じます。

・結局は、言葉の問題だと思う。

自由、平等、平和……。そういう言葉に振り回され、本来の言葉の価値を毀損しているのが、今の日本人の姿である。

押井さんの指摘は、今の日本の人たちが言葉の本来の価値を忘れ、言葉尻や勝手に思い込んだイメージに振り回され、その結果、言葉に込められた本当の意味合いを見失っているということです。
この点もとても納得できるものです。

偶然かどうかは分かりませんが、筑波大学助教の落合陽一さんが著書「日本再興戦略」の中で同様の問題提起をしていました。「今の日本語には明治時代に急ごしらえで整えた翻訳言葉がいくつもあり、今の日本人の変な価値観を規定している」と。
この問題提起は自分にとって相当に啓蒙的なものでした。違和感はどこかに感じていたものの、はっきりと言語化できていなかった事柄だったからです。

おそらく押井さんも同じ問題意識を持っているのだと思います。

押井さんはこの本の中で「胸の中の核が命じるもの従ってそれに対峙していくしかない」と書いています。おそらく「胸の中の核が命じるもの」は、無意識であれ有意識であれ、感覚的なものとしてしか姿を表さないものです。それも日常的に顕在化しているのではなく、他の意識の裏側や深いところに隠れていて、ふとした時に何かの拍子で顕になるものだと思います。

だからそれを自分という意識が正確に掴むためには、「それ」を言語化するしかない。
ですが、この言語=言葉が人々を振り回すような曖昧なものでは、決して「それ」を明確に受け取ることができないという事です。

この問題を押井さんは「結局は、言葉の問題だと思う。」と締めくくりました。
とても重い指摘です。

この本を読んで得た気付き


このブログを書いている目的の一つは、自分の文章力の向上です。
「結局は、言葉の問題だと思う。」という押井さんの言葉に重みを感じたと同時に、自分に一つの方向性が開かれた気がしました。

言葉の問題であれば、言葉と向きあえばいい。
言葉と真摯に向かいあうことを自分に課していく。

そんな気付きがありました。
普段何気なく使っている言葉の意味を一つ一つ吟味し、自分の胸の感情をどのようにして言語化していくか、どんな言葉が最もそれを言い表し、かつ、他の人間に刺さるのか。
この本は、それを追求していこうという情熱を燃やしてくれました。

この出会いに感謝します。

ちょっと長文になりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
タグ:押井守
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霧島もとみ
他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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