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2015年12月24日

クラシック・コンサートにて(無神経さの暴力)

クラシック・コンサートに行ってきました。

歴史の中でふるいに掛けられた名曲が数々の演奏家や指揮者によって磨き抜かれ、今のクラシックシーンがある訳ですが、やはりとても良い物です。

ストリングスの柔らかで表現力豊かに響く音、金管楽器の爆発するような音圧で鳴らす音など、生で聴く楽器の音の迫力は凄いですね。「今、そこで、人間によって楽器が鳴らされている」もので作り上げられる音楽の生々しさ、まるで人間の情熱が空気の振動を伝わって打ち込まれてくるかのようです。

中学校の音楽の授業で聞いた音楽(音楽室のスピーカーで聞かされたやつですが・・・)とは雲泥の差で、これが音楽というものだ!という説得力のある存在は、こういう生の演奏会に聴きにいくことを授業の一貫で出来ないものかと思ってしまいます。
授業の音楽じゃ、全然「音楽」というものを伝えられていないと思うんですよね!
今になってですが。

さて、今日は少し気になったことがあります。

それは、演奏途中で会場に出入りしている人がちょっと目についたこと。
私の記憶というか、勝手な感覚なのかもしれませんが、クラシック演奏会では「演奏途中で会場には出入りしない」「遅れて来ても、演奏が止まるまでは中に入れない」という暗黙のルールがあったように思います。
ちょっとの音が響くホールではこれ当たり前のことだと思っていたんですが・・・

今日はそれがやたらと目についたんですよね。
いや、正確に言えば耳についたんですが・・・あれ、他のお客さんも気になったんじゃないかと思うんです。

ドアの近くに立っていたスタッフらしき人も何も言わないんですよ。
あれ、ひょっとして、自分の勘違いだったのか?と自分の記憶を思わず疑ってしまいましたね。

チケットを買っているかもしれませんが、公共の場である以上、そこに参加する人間にも一定の責任があると思います。
遅れて来たのがそもそも悪いし、チケットを買ったんだから途中からでも聴く権利があるんだよ!と言うかもしれませんが、一方で大多数の時間通りに会場に入って集中して聞いているその他大勢の観客の「音楽を楽しむ権利」を大いに阻害するんですよ、その行為!
どちらが正当か?考えれば簡単だと思います。

それにこういう舞台芸術は、演者だけでなく、観客も一緒につくり上げるものなんですよね。
一体になって紡ぎあげようとしている芸術性をも壊してしまうかもしれない、恐ろしい行為なんですよということを自覚して、止めて欲しいものです!!

あ〜〜〜〜〜〜無神経。
posted by 霧島もとみ at 2015年12月24日 | Comment(0) | TrackBack(0) | そこはかなきこと
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他人との距離感をいつも遠く感じながら生きてきました。高校の体育祭のフィナーレでは、肩を抱き合って大はしゃぎする光景に「何でこんなに盛り上がれるんだろう・・・?」と全く共感できませんでした。共感できない自分が理解できず、いつも悩んでいます。そんな私でも面白いと思うことはこの世界に一杯あります。それが私の生きる糧でした。面白いことが増えていけば、よりたくさんの人が楽しく生きられるはず。そんな世界を夢見ています。
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