今日はTVでも特番がひっきりなしです。
世の中の空気がひきしまっているように感じます。
一年前に何をやっていた時に地震が起きたか、今でもはっきり覚えています。
職場で干されていた時だから(笑
社長にむかつきながら仕事していたことを、すぐ思い出せます。
その当時、秋田にいた自分は被害は少なかったです。
電気も翌日の15時頃には復旧しましたし、ガスも水道も使えたから。
しかし急激に変わる世界にハラハラしていたのを思い出します。
自分の親が住んでいる仙台などはガス・電気・水道がすべてダメで大変だったようです。
食べるものもなく、友人はおにぎり一個もらうのに、学校での配給に1時間30分ならび
別な友人はかんぴょう巻8本入り1パックを2000円で買ったりしてました。
家族いたから食べさせたくて買ったそうですが、非常に高い。
他に選択肢ないぐらい、コンビニなどにも食べ物なかったから買うしかなかったといってました。
自分はとにかく親と連絡がとれませんでした。
携帯はつながらず、災害伝言用ダイヤルにメッセ―ジを入れても返事はなし。
TVでも呼びかけてくれるコーナーがあったので、お願いしてみたり。
それでも親から連絡はなくて・・・
震災から3日目に連絡とれた時はほっとしました。
その後、親は通常の生活が送れるようになるまで、一か月以上かかったようです。
最近、TVの特集で3・11の震災を特集してますが、とにかく津波の恐ろしさを感じています。
もう来たと思ってから逃げたのでは、絶対に間に合わないのです。
また一回逃げたとしても、家に戻ってはいけません。
家に物をとりに行き、津波に巻き込まれて亡くなった方も多数います。
津波がくる様子を撮影している中で、何回も叫ばれているセリフ
「早く高いところにあがれ〜!」
必死の声が耳から離れません。
瞬間の判断をあやまれば死んでしまう、日常とはかけ離れた世界です。
今は自分は普通の生活をおくれているからこそ、映像を見るたびに恐怖が襲ってきます。
今後の為にも、この映像は残して後世に伝えていかなければいけないと思います。
一年前は正直、今のように仙台に戻っているとは思いませんでした。
人生は何が起こるかわかりません。
こうして生きていられるだけで幸せだと思います。
この命を誰かの役にたてるように活かしたい。
そんなことを思う3・11でした。
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