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2015年06月16日
★人生を物足りなく感じているあなたへ8★
人からクレーム(苦情)のこない
人生なんて、ありえません。
クレームを上手に処理できる人が
リーダーになる人です。
一番大きなクレームを処理できる人が
トップです。
文句を言いにきたのに
帰るときにはお友達になっていた
なんていいですね。
楽しみながら、処理をしていくのですね。
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面白い話をご紹介しましょう。
あるメーカーの社長さんがおっしゃった中に
「時間給で働く人は、夏は暑いの、
冬は寒いの、文句ばっかりいっているが
出来高払いの人たちは、一切そんなことは
言わない。 真剣に働いている。」
また
あるお医者さんは
「自費で病院に来ている人は、
治りが早い。
保険の人は、
治りが遅い。」
とおっしゃっていました。
人間の差ではないのです。
人は、意識のあり方によって
まったく違ってしまうのです。
つづく・・
2015年06月15日
★人生を物足りなく感じているあなたへ7★
2015年06月14日
★人生を物足りなく感じているあなたへ6★
●心の強い人とは●
「きみはよく働くね」
といわれて
「あら、うれしい。見ててくれたんですね。」
と受けられる人は、心が健やかなのですね。
そして
心の強い人は、ほめられると
ちゃんと喜んだ上で、そのことに影響を
受けないのです。
影響を受けるというのは
「あら、うれしい。」
というところまでは同じです。
が、次が違うのです。
(ほめられたからには、もっとがんばらなくては!)
と、自分のペースが変わるのです。
ひとつ間違うと、負担になります。
自分の呼吸を忘れます。
私たちは、毎日いろいろなことを体験します。
体験というのは五感でします。
どんな事柄も、
聴覚・視覚・嗅覚・触覚・味覚
から入ってきます。
五感から入ってきた体験が、心に映ります。
心とは、鏡のようなものです。なんでも映します。
心の強い人とは・・・
「心は鏡」
と知っている人です。
バラの花が映れば、バラの花
汚物が映れば、汚物
それだけのこと、影響を受けません。
「きみはよく働くね」
「あら、うれしい。ありがとうございます。」
これでおしまいです。
つづく・・・
「きみはよく働くね」
といわれて
「あら、うれしい。見ててくれたんですね。」
と受けられる人は、心が健やかなのですね。
そして
心の強い人は、ほめられると
ちゃんと喜んだ上で、そのことに影響を
受けないのです。
影響を受けるというのは
「あら、うれしい。」
というところまでは同じです。
が、次が違うのです。
(ほめられたからには、もっとがんばらなくては!)
と、自分のペースが変わるのです。
ひとつ間違うと、負担になります。
自分の呼吸を忘れます。
私たちは、毎日いろいろなことを体験します。
体験というのは五感でします。
どんな事柄も、
聴覚・視覚・嗅覚・触覚・味覚
から入ってきます。
五感から入ってきた体験が、心に映ります。
心とは、鏡のようなものです。なんでも映します。
心の強い人とは・・・
「心は鏡」
と知っている人です。
バラの花が映れば、バラの花
汚物が映れば、汚物
それだけのこと、影響を受けません。
「きみはよく働くね」
「あら、うれしい。ありがとうございます。」
これでおしまいです。
つづく・・・
★人生を物足りなく感じているあなたへ5★
「お客さんが来たら静かにしなさい」
と言われて育って
人見知りのクセがついた人は、いくらでもいます。
人前だけで猫かむりの「おとなしくていい人」
になる人は、いくらでもいます。
「勉強しなさい」
と言われたから、勉強してきました。
「給食は全部食べなさい」
と言われたから、無理やり全部食べました。
お母さんに愛されるために、何でもしてきました。
そして・・・
二十歳になったら
「あなたの考えはどうなの?自分の考えを
持っていないの?」
と言われます。
これではたまったものではありませんね。
あなたの人生が、もし今、うまくいっていない
と感じるのならば
それは全部、親が悪いのです。
親だけで足りなければ、学校の先生も、親戚の
おじさんも、おばさんも、
あなたのまわりにいた大人たち全部が悪いのです。
「私の人生がこんなふうなのは、親のせい」
こう言って生きていってもかまわないのです。
それはそれで、迷いのない人生ですから。
でも
過去は過去として置いておいて
「自分の今の人生は、自分の責任で生きていく」
と考えて生きていってもいいのです。
自分がどちらを選択するかなのです。
つづく・・
2015年06月13日
★人生を物足りなく感じているあなたへ4★
成長の裏には、いつも、サヨナラが
あります。
たとえば
子供が小学校に入った、ということは
もう純度100パーセントの「うちの子」
ではなくなった
ということですね。
その子はもう
「○○小学校1年○組のだれそれ君」
でもあるというわけです。
長じて
社会人になった時は、
もう学生ではなくなります。
結婚したというときは
もう独身ではなくなります。
人はだれでも、人生の新しい一歩を
進めるたびに
今までの自分とサヨナラしています。
ところが
サヨナラできない人もいるのです。
結婚したのに、「独身」とサヨナラ
できない人がいて
何かと問題を起こし、自分の力で解決できない
となると
「もう家に帰ります」
実家とは言わないのです。いつまでたっても
ウチなんです。
自分が人生の新しい一歩を踏み出したときは
同時に今までの自分と別れている
ということをわかっていないと・・
いつまでも過去を引きずってしまいます。
毎年毎年ひとつずつ年をとるのに
自分が人間として成長しているのかどうか
確信の持てない生き方になってしまうのです。
つづく・・・
あります。
たとえば
子供が小学校に入った、ということは
もう純度100パーセントの「うちの子」
ではなくなった
ということですね。
その子はもう
「○○小学校1年○組のだれそれ君」
でもあるというわけです。
長じて
社会人になった時は、
もう学生ではなくなります。
結婚したというときは
もう独身ではなくなります。
人はだれでも、人生の新しい一歩を
進めるたびに
今までの自分とサヨナラしています。
ところが
サヨナラできない人もいるのです。
結婚したのに、「独身」とサヨナラ
できない人がいて
何かと問題を起こし、自分の力で解決できない
となると
「もう家に帰ります」
実家とは言わないのです。いつまでたっても
ウチなんです。
自分が人生の新しい一歩を踏み出したときは
同時に今までの自分と別れている
ということをわかっていないと・・
いつまでも過去を引きずってしまいます。
毎年毎年ひとつずつ年をとるのに
自分が人間として成長しているのかどうか
確信の持てない生き方になってしまうのです。
つづく・・・
★人生を物足りなく感じているあなたへ3★
「どうしてもタバコがやめられない」
という人がいます。
外に出るときは、ネクタイを締めていないと
「自分が自分でないようだ」
という人がいます。
「この長髪を切るくらいなら就職なんて
しなくていい」
という人がいます。
こういう人たちは、単にタバコ、ネクタイ、
髪型に限らず、
万事について、自分の習慣に頑固です。
自分の人生に、今までとの「違い」を
つくっていくことができません。
その上で
「何か面白いことないか?目新しいことがないか?」
といわれても困るわけです。
どんな小さなことでも
一日に一つ、今までの習慣のカラをこわして
新しい「違い」をつくっていく
と、人は一ヶ月ですっかり変わります。
タバコにしろ、ネクタイにしろ、それ自体が
良い悪いではなく
どちらが主導権を持っているか なのですね。
タバコが、ネクタイが、長髪が
つまり、
習慣が、その人をコントロールしているのか。
その人が自分の生活を自由にコントロール
しているのか
なのです。
習慣にコントロールされていると
いつも自分の半分しか見えないのです。
タバコを吸わない自分や、ネクタイをはずした自分を
知ることができないのです。
タバコを楽しみたいときは吸う
やめたいときにはやめられる
という自分、
ネクタイについても長髪についても
それらを自由に使いこなす自分を
生涯知ることができないのです。
つづく・・
2015年06月12日
★人生を物足りなく感じているあなたへ2★
2015年06月11日
人生を物足りなく感じているあなたへ1★
「行こうかな」
「行かなくてはダメじゃないか」
「でも、今日は頭が重いし・・」
「またすぐ、そんなことをいう。
どうせ家にいてもダラダラしてるだけでしょ。
そんなことだから、人の信用を失うんだ!」
これは
会話ではなく、議論です。 戦いですね。
「もう一人の自分」との戦いを、内なる葛藤と
言います。
毎日闘っていたのでは、誰だって
疲れてしまいます。
何のために生きているのかさえ、わからなくなって
くるのです。
「もう一人の自分」が、自分の「よき仲間」ではなく
議論相手になってしまうと・・
これは扱いが難しいのです。
なにしろ、相手は表面には出てきません。
いつも、その人の背後にいて
その人を審査して、裁いているのですから
闘っても、勝ち目はありません。
「もう一人の自分」を、自分の審査員や裁判官に
してしまっている人というのは
何かを失敗すると、一気に落ち込んでしまいます。
「だから言っただろう。もっとちゃんとやれない
のか!」と。
「もう一人の自分」から責めたてられるのです。
だから、落ち込む。
周りの人は、別に何も言っていなくても。
そして
ちょっとうまくいくと、必要以上に鼻が高く
なります。
背後からはやしたてる自分がいますから。
こういうふうにやって日々生きている人を
自分の人生を生きている人
といえるでしょうか??
もう一人の自分に支配されている人生なのですね。
つづく・・・