ポール・ムニ主演の映画「ゾラの生涯」について書こうと思いましたが、まず「ドレフュス事件」について書きます。この事件を知っておいたほうが映画「ゾラの生涯」を理解できると思います。
このドレフュス事件とは1894年にフランスで起きた事件です。
1894年の9月、フランス陸軍情報部はフランス軍内部にドイツと通謀している人物がいるということを示すメモを入手しました。軍はアルフレッド・ドレフュス大尉を筆跡が似ているとかいう理由で逮捕しました。
ドレフュスは初めから無罪を主張していましたが、軍法会議にかけられ、フランス領ギアナのディアブル島に送られ終身城塞禁錮という判決を受けました。
アルフレッド・ドレフュス
1896年にはピカール中佐がフランス陸軍情報部長に就任しました。ピカール中佐は犯人がフェルディナン・ヴァルザン・エステルアジ少佐であることを突き止めました。しかし軍部上層部は耳を貸さず、軍の権威失墜を恐れ、もみ消しのためにピカール中佐を左遷し、エステルアジ少佐を裁判にかけ無罪にしました。
そしてここでゾラが登場します。1898年1月13日の新聞「L'Aurore」にゾラは大統領宛の公開質問状を掲載しました。タイトルは「私は告発する・・・」というものでした。
これが掲載された結果世論は沸騰し、ドレフュスに対する支持が盛り上がった一方、ゾラを攻撃する勢力を現れ、ゾラは名誉毀損で裁判にかけられ有罪判決を受けます。そして一時的にイギリスに亡命せざる得ない状況になりました。しかしゾラはイギリスでも活動を続けました。
その後、ドレフュスの無実を証明するような証拠が出てきた(アンリ大佐が証拠の偽造を自白して自殺)りしたので軍は再審を開いて刑を軽くしましたが有罪は覆りませんでした。時の首相の恩赦により釈放されますが、無罪の主張はし続けました。最終的に無罪判決を勝ち取ったのは1906年のことでした。ドレフュスもようやく軍籍に復帰しました。
真犯人も分かっていたのに、なぜドレフュスが投獄されたのか。無罪判決までに時間がかかったのか。
それはドレフュスがユダヤ人だったからでしょう。反ユダヤの感情は今では考えられないぐらいすごかったです。当時の司法もどうやらまともに機能してなかったようですね。
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