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2014年10月23日
パナ、一般社員も年功見直し
との報道が毎日新聞からされております(記事は→こちらヤフーニュースから)。年功給システム見直案にありがちな代替候補の賃金決定システムについての説明不足については、前回記事にしたばっかりなんですが、この毎日新聞の記事に目を通しても、やはり、というか、なんというか、職務基準賃金と成果給賃金の解説が脆弱かつ曖昧で、両者がごっちゃになっているような印象を持ちます。同記事にあるように、今後、何らかの形で賃金改革の要請が強まるものと思われますが、「その提案は、とどのつまり、労働の何に対して賃金を支払うシステムなのか?」を意識して、解りやすい議論を展開していって欲しいものだと思います。
ところで、こうした議論の中で、年功給システムの代替候補検討のための参考例として、職務基準賃金のごく一般的な適用例が挙がってこない理由として、日本固有の運用上の困難性があるのですが、これは、前回記事にしたような既得権の問題以前に、実は、「日本の働き方」からくる導入の難しさがあるといわれています。というのも、日本の場合、職務がかなりクロスオーバーした働き方をしているのが一般的だからです。海外で就労経験がある方は多分お解りかと思いますが、彼らはいくら他の職務が多忙で自分の職務が暇でも、手伝おうとしないのが当たり前です。これは、包括的な記載ではなく詳細な職務内容を記述する「職務記述書」というものがあり、これに記載された職務しか求められないからです。職務基準賃金は、この職務記述書を基に職務分析が行われ賃金が設定されます。よく、誤解があるのが、同じ職務であれば全く同じ賃金になるのかというと、確かに、そういった職務基準賃金も一部にはありますが(アメリカの自動車産業における製造現場職務によくある労働協約賃金等)、大部分は範囲レート職務給という、職務分析により決定したミッドレンジから数%の人事考課の裁量が与えられるシステムです。したがって、転勤や配置転換で職務内容が変わる場合、契約を変えるわけですから当然賃金も変わります。特に、下がる場合については同意が得られないケースが多いわけですから、そうした選択肢はあまりとられません。ここから先は、その国の解雇規制、雇用セキュリティーの強さによりますが、基本的には解雇という選択肢が検討されることになります。日本的雇用慣行からすると少々残酷な印象ですが、労働市場を俯瞰的に考えると、雇用セキュリティーの弱い国程、新規採用時の経営意思決定はより新規採用に対して積極的になりますから、これはこれでバランスが取れているわけです。
以前、管理人の勤務している会社の欧州支社で、ある管理者に新しい工場の立ち上げのために他国に転勤してもらうお願いをする経緯を社内情報誌で見かけたことがありますが、読んだ感想からいうと、労働者と会社側で意見が全く噛み合っていませんでした。その転勤依頼を受けた管理者は直ちに退職の意思を示し、それを引き留める経営サイドに対して、「何で家族と離れてまでして他国で仕事しなければならないんですか?その意味がよくわからないんですが・・・。その国で同等の職務経験者を採用すれば済む話じゃないですか。 私の心配はご無用です。こっちでポストがないってことでしたら、別の会社で働きますんで。」といった感じの意見で、対する会社側は、「イヤー、そこをなんとか。君にしか任せられないんだよー。」といったような感じで、正に、世界標準的な労働観に日本的労働観を押し込もうとする無理さがひしひしと伝わってくる、漫才のやりとりのような記事だったのを覚えています。
ここで思い出すのは、311後によく報道されていた離散家族の悲惨さです。放射能に対する感受性が高いとされる子供の健康を気遣って子供と母親は放射能疎開、父親は 仕事があるので 地元に留まるという構図です。これが世界に報じられた際の反応が、”karousi”のように、その意味が理解されなかったという記憶があります。あの時も、「なんか無理のあるシステムをひつこいめにやっていくんだなぁ。」と思って見ていたものです。少し前によく取り上げられた「追い出し部屋」についても、リストラするためにギブアップするまで職務を無い状態にするっていう経営手法が海外に紹介されたら、間違いなく意味不明として扱われるんだろうなぁ、と思いながら眺めていました。「職務無いってことは、無給?だったら解雇するのと同じじゃ・・・。エッ!給料出るの?何に対して?もしかして我慢してることに対して?ホー、その我慢してる様子が何かしら利益を生み出してるんだぁ・・・。 エッ!何も利益生み出してない???」こんな感じかもしれません。
ということで、賃金システムと解雇規制は互いに影響し合っており、前者の改革だけであれば多少無理があるとはいえ一個の私的企業の決断で多少改変することは可能ですが、後者のそれについては判例法理があるため為政者による法改正等の関与が必要になります。為政者サイドから前者の話が出てきていますから、後者もじきに議論されだすかもしれません。こうした記事を書くと、解雇規制撤廃論者のように思われるかもしれませんが、そう単純でもありません。その国の雇用慣行と合致したシステムでなければ雇用システムは機能しないという歴史があり、世界標準的な雇用システムにも課題は多いからです。賃金決定システム自体については、もっと公正な形にもっていくのを支持しますが・・・、 解雇規制については、 確かに日本はOECDでも突出してハードルが高いですが、 それ以外の国が一様というわけでもありませんので、解雇規制のハードルを下げるべきだとは思っていますが、 どの程度の雇用セキュリティーにすれば最適なのかは、正直、判断つきかねます、といったところです。 難しいと思います、この辺の議論は。 ただ、こうした議論が報道から提案されるときに、「じゃ、日本以外は正味どうなのよ?」といった、議論のニュートラルレベル確認のための材料提出がひじょうに少ないように思いますので、ここのところ立て続けに記事にしている次第です。考えるための参考材料自体がちょっと少なくないか?という気がして・・・。
というのも、ここが日本の構造的問題の一番の”根っこ”のように思うからです。
(追記)労働市場の硬直性とイノベーション
ところで、こうした議論の中で、年功給システムの代替候補検討のための参考例として、職務基準賃金のごく一般的な適用例が挙がってこない理由として、日本固有の運用上の困難性があるのですが、これは、前回記事にしたような既得権の問題以前に、実は、「日本の働き方」からくる導入の難しさがあるといわれています。というのも、日本の場合、職務がかなりクロスオーバーした働き方をしているのが一般的だからです。海外で就労経験がある方は多分お解りかと思いますが、彼らはいくら他の職務が多忙で自分の職務が暇でも、手伝おうとしないのが当たり前です。これは、包括的な記載ではなく詳細な職務内容を記述する「職務記述書」というものがあり、これに記載された職務しか求められないからです。職務基準賃金は、この職務記述書を基に職務分析が行われ賃金が設定されます。よく、誤解があるのが、同じ職務であれば全く同じ賃金になるのかというと、確かに、そういった職務基準賃金も一部にはありますが(アメリカの自動車産業における製造現場職務によくある労働協約賃金等)、大部分は範囲レート職務給という、職務分析により決定したミッドレンジから数%の人事考課の裁量が与えられるシステムです。したがって、転勤や配置転換で職務内容が変わる場合、契約を変えるわけですから当然賃金も変わります。特に、下がる場合については同意が得られないケースが多いわけですから、そうした選択肢はあまりとられません。ここから先は、その国の解雇規制、雇用セキュリティーの強さによりますが、基本的には解雇という選択肢が検討されることになります。日本的雇用慣行からすると少々残酷な印象ですが、労働市場を俯瞰的に考えると、雇用セキュリティーの弱い国程、新規採用時の経営意思決定はより新規採用に対して積極的になりますから、これはこれでバランスが取れているわけです。
以前、管理人の勤務している会社の欧州支社で、ある管理者に新しい工場の立ち上げのために他国に転勤してもらうお願いをする経緯を社内情報誌で見かけたことがありますが、読んだ感想からいうと、労働者と会社側で意見が全く噛み合っていませんでした。その転勤依頼を受けた管理者は直ちに退職の意思を示し、それを引き留める経営サイドに対して、「何で家族と離れてまでして他国で仕事しなければならないんですか?その意味がよくわからないんですが・・・。その国で同等の職務経験者を採用すれば済む話じゃないですか。 私の心配はご無用です。こっちでポストがないってことでしたら、別の会社で働きますんで。」といった感じの意見で、対する会社側は、「イヤー、そこをなんとか。君にしか任せられないんだよー。」といったような感じで、正に、世界標準的な労働観に日本的労働観を押し込もうとする無理さがひしひしと伝わってくる、漫才のやりとりのような記事だったのを覚えています。
ここで思い出すのは、311後によく報道されていた離散家族の悲惨さです。放射能に対する感受性が高いとされる子供の健康を気遣って子供と母親は放射能疎開、父親は 仕事があるので 地元に留まるという構図です。これが世界に報じられた際の反応が、”karousi”のように、その意味が理解されなかったという記憶があります。あの時も、「なんか無理のあるシステムをひつこいめにやっていくんだなぁ。」と思って見ていたものです。少し前によく取り上げられた「追い出し部屋」についても、リストラするためにギブアップするまで職務を無い状態にするっていう経営手法が海外に紹介されたら、間違いなく意味不明として扱われるんだろうなぁ、と思いながら眺めていました。「職務無いってことは、無給?だったら解雇するのと同じじゃ・・・。エッ!給料出るの?何に対して?もしかして我慢してることに対して?ホー、その我慢してる様子が何かしら利益を生み出してるんだぁ・・・。 エッ!何も利益生み出してない???」こんな感じかもしれません。
ということで、賃金システムと解雇規制は互いに影響し合っており、前者の改革だけであれば多少無理があるとはいえ一個の私的企業の決断で多少改変することは可能ですが、後者のそれについては判例法理があるため為政者による法改正等の関与が必要になります。為政者サイドから前者の話が出てきていますから、後者もじきに議論されだすかもしれません。こうした記事を書くと、解雇規制撤廃論者のように思われるかもしれませんが、そう単純でもありません。その国の雇用慣行と合致したシステムでなければ雇用システムは機能しないという歴史があり、世界標準的な雇用システムにも課題は多いからです。賃金決定システム自体については、もっと公正な形にもっていくのを支持しますが・・・、 解雇規制については、 確かに日本はOECDでも突出してハードルが高いですが、 それ以外の国が一様というわけでもありませんので、解雇規制のハードルを下げるべきだとは思っていますが、 どの程度の雇用セキュリティーにすれば最適なのかは、正直、判断つきかねます、といったところです。 難しいと思います、この辺の議論は。 ただ、こうした議論が報道から提案されるときに、「じゃ、日本以外は正味どうなのよ?」といった、議論のニュートラルレベル確認のための材料提出がひじょうに少ないように思いますので、ここのところ立て続けに記事にしている次第です。考えるための参考材料自体がちょっと少なくないか?という気がして・・・。
というのも、ここが日本の構造的問題の一番の”根っこ”のように思うからです。
(追記)労働市場の硬直性とイノベーション