2018年08月24日
『送り火』を読んで
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こんにちは。
芥川賞を受賞された高橋弘希さんの『送り火』を読みました。
確かに、文章力は素晴らしいと思いました。
しかし、審査員の方々もおっしゃっているように、暴力の方はどうなんでしょう。
私は暴力反対です。
救いがない。
え?ここで終わり?
読んでいる最中もですが、読み終わった後に嫌な感じがしました。
シナリオの先生から「後味の良さ」が大切だと習ったので
違和感が半端なかったです。
純文学ってこういうことなのかな?芥川賞ってこういうものなのかな?
考えさせられました。
選考委員の高樹のぶ子さんはこう述べている。
文学が読者を不快にしても構わない。
その必要が在るか無いかだ。
読み終わり、目をそむけながら、それで、何?と呟いた。
それで何?の答えが無ければ、この暴力は文学ではなく
警察に任せれば良いことになる。
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私はずっと暴力から目をそむけていた。飛ばし読みをした。
だから正確にはこの小説を理解していないのかもしれない。
選考委員の中には「読みにくい」という人もいた。
「読みにくい」とはどういう意味だろうと考えたが
暴力的な表現が酷くて読むのが辛くなるということだと分かった。
宮本輝さんもこう述べている。
最後の場面は残酷で、主人公の少年はこのまま殺されてしまうのかと、
その不当さに首をかしげざるを得ない。
しかしながら、高橋さんの描写力、ディテールの描き方の上手さには
どなたも丸をつけています。
芥川賞に選ばれるには「文体」の新しさ、オリジナリティが大切と
以前読んだことがあります。
高橋さんご本人はインタビューで「なぜ理不尽な暴力を描き続けるのか?」
という質問に対して「明確な理由はわからない。本当は、ほのぼのとした小説も書きたい」と
述べていた。(文藝春秋95thより)
よく考えたら、高橋さんの本は宮澤賢治さんの本に似ていると感じました。
宮澤賢治さんの本も、自然描写が美しく芸術性が高い反面、暴力的な表現も
時々見受けられました。
セロ弾きのゴーシュしかり、オツベルと象しかり。
高橋さんご本人が意識しているか否かはわかりませんが、私は
現代の宮澤賢治と呼びたいです。
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