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2019年03月16日

「幽霊の夕子」(4)




 パチンコ屋があって、喫茶店があって、ラーメン屋があって。ごくごく普通の商店街。

 この景色をもう人間として見ることはないのかと思うと急に悲しくなって泣けてきた。

「おいおい、どうした?酒でも飲むか?」

「あたし、あたし」

「アタシー?」

「正人に会いたい」

「まーちゃん?なら家で家事してるよ」

「かえりたい」

「オッケー」

 家路を急いだ。


 途中、あたしが事故った現場を見かけた。見たくない。でも見たい。

あれ?なにも変わってない。

こういう事故ってそんがいなんとか金が高いって聞いたことある。だいじょうぶかなあ、うち。どうしよう。ますます不安。

 家に着くと正人が庭で洗濯物を干していた。

「正人!いや、まーちゃん」

 おやじはまさとのことまーちゃんて呼んでた。

「あ、おかえりなさい。大丈夫?体調は?」

「うむ」

「ぼくもこんど連れってってね」

「どこに?」

「どこって、ソープ」

「ダメ!絶対ダメ!ダメダメダメダメッたらダメ!」

「…どうした?おじさん?」

「えっ、いやあ、その、まだ夕子が死んだばっかだし。おちついたら、な」

「よろ」

「そんなことよりまさ、じゃなくてまーちゃん。明日シーいかない?」

「シーって、ディズニーシーのこと?いいけど明日は夕子の告別式っすよね?その後ってことっすか?」

「そうそう、そのあと」

「オッケーっす。ちょうど仕事も休みもらったんで。いこう、シー」

 やったーデートだあ!うれしい!おひとりさまなんてイヤ!あたしは正人と一緒がいい!

「…ところでまーちゃん。なんで夕子と結婚しなかった?別れようとした?」

 うなだれる正人。

「おじさん。僕ほんとのこといっていいっすか?」

「も、もちろん」

 やだー。心の準備があ。


「ぼく、アメリカに留学するって言ったんです。とりあえず半年だけって言おうとしたんだけど、その前に夕子がパニクっちゃって。…それとぼくたち十年も付き合ってたでしょ?だから、だんだん夕子のこと家族みたいな感じになってきてて。よくある話だけど、その、女としてみられなくなっちまったっていうか…」

「ぶっころすぞ!」

「わー、ごめんなさい」

 正人は深々と頭を下げた。

「まさか、夕子が線路に飛び込むなんて…。僕どうしたらいいか…」

「死ねば?」

「う。それは…」

 まずい。本音が出てしまった。

「うそうそ。明日はよろしく。じゃ、ねるわ」

「うん。おやすみなさい」

「洗濯ありがとね」

「え」

 正人、なんかちょっと気付いたかも。急いで逃げろ。


 なんかはらへっちゃったな。カップラーメンでも食うか。ヤカンでお湯を沸かす。

 ズルズル。入歯だとすんごく食いづらい。味もちがう。老人はつらいよ。

 母ちゃんにもあたしにも先に死なれちゃっておやじってば女運がないのかしら。

 でも、ほなみさんがいてくれて良かった。



al5.jpeg




 正人が車でパークに連れてきてくれた。

やっぱシー最高だわ。乗り物に乗れなくてもここにいるだけで癒される〜。でも暑い。

「おじさん、暑いっすね〜。レストランでも入ろうか?」

「そだね」

「イタリアンなんてどうっす?どうっすもこうっすも僕予約しちゃったんだよね」

 さすが、正人!気が利く!

「その店、二人でよく入った…りした、の?」

「うん。夕子がそこのラザニアが好きで」

 よくぞ覚えててくれた!

「じゃあそのラザニアをくおう」

「うん」

 レストランまで来たが

「申し訳ございません。お客様のお名前では、ご予約をいただいておりませんが…」

「えっ、ぼく昨日確かにネットから予約したんだけど…」

「申し訳ございません…」

「なんだ。がっかり」

「まーちゃんいいよ。他の店いこう」

「おじさん、ごめん」
 
 結局サンドイッチ屋さんに入った。

 あたしのほかにも車イスの人が何人かいた。


 正人が美味しそうなサンドイッチを運んできてくれた。

「サンキュー」

「ごめんなさい。ラザニア食えなくて」

 サンドイッチをほおばる。

「んまい!」

「ほんと?よかった」

シャトーブリアンなんかよりずっとこっちの方がいい。となりに正人がいるから。

 正人の顔をまじまじと見る。

 確かに、あたしたち長すぎたのかもしれない。あたしも正人のこと三人目の兄弟みたいに思ってた。

 最近、セックスもあんまりしなくなった。

 正人が将来の話しをしてたときもあんまり真剣に聞いてなかったな。

 あたしが結婚したくなかったのかも。

 結婚は女が決めるものだってばあちゃんが言ってたっけ。あたしのせいなのかな。やっぱり。

家族の世話で忙しくて結婚するの避けてた気がする。謝らなきゃいけないのはあたしの方。

 正人もジッとこっちを見てきた。

「ん?なに?」

「いや、昨日から気になってたんだけど。…夕子だよね?」

 フォークを落としてしまった。

 正人がフォークを拾ってくれた。

 そしてその手をあたしの右手に重ねた。

 びくっとするあたし。

 顔をぐんぐん近づけてくる正人。

 キス?ここで?おやじと?

 正人はくんくんとあたしの匂いをかいだ。

「やっぱり夕子だよ」

「ちっ、ちがうよ〜、やだなあ、まーちゃんふざけてえ。じょうだんじゃないよ」

 ビートたけしのモノマネをした。

「バラの香り。夕子いつも口臭気にしてバラの香りがするガム食ってたもん」

「…ごめん」

「ぼくこそ、ごめん。夕子がいなくなって、夕子の存在の大きさにきづいた。遅いけど」

 正人はあたしの魂を感じるみたい。

 涙が溢れてきた。オヤジの涙。熱い。きたない。でも止まらない。

「僕、どうしたら」

「なにもしなくていい。なにもしなくていいから、このまま、このままでいて。おねがい」

 まわりから見たら年の離れたゲイのカップルにでも見えただろう。

 正人はそのまま三十分もじっとしていてくれた。

 あたしは泣いた。とにかく全部カラダから水を出してしまおう。

 正人は微笑んでいた。

 近くで小さなこどもが泣き出した。迷子だろうか。

 正人はゆっくりと手を離した。あたしはもう泣いてはいなかった。

 とても心が穏やかだ。

 もう死んでもいい、と思えた。

 言葉なんかいらない。心が通じ合えたから。

 正人のぬくもりを感じた。それだけで十分。




つづく

(この物語はフィクションです)








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