2019年02月15日
連載小説「平行線の先に」 3章
帰宅した。紺色のポーチに挨拶する。ただいま。あれ?今日はちび太が来ないな。どうしたんだろ?
「ちび太〜、ただいま〜」
リビングにいない。キッチンにもいない。寝室のベッドにもいない。あれ?どこいった?
探し回ってやっと発見した。カーテンの裏で倒れていた。
「ちび太!」
動かない。かろうじて息はしている。急いで病院へ連れて行った。
ちび太は入院することになった。年齢を考えると回復するのは難しいかもしれないと言われた。がっくりして家へ帰る途中、マリアとすれ違った。マリアに声を掛けられてハッとした。マリアに抱き付いて泣いた。
「マオ、どうしました?」
近くのバルに入った。たまたま二人席が空いていたので座らせてもらった。泣きながら説明するとマリアが背中をさすってくれた。
「イノチってはかないね」
「難しい言葉知ってるんだね」
私は冷静になっていた。ちび太がもうおじいちゃんだってこと前からわかってたから。大輔の時とは全然違かった。当たり前だが。そうでもないか。夫よりペットの方が大事って女性は少なくないのかもしれないし。お酒を飲んで落ち着いたころ、マリアが聞いてきた。
「シゴトのほうはどお?」
「うん、慣れてきたよ。お客様もみんな素敵な方ばかりだし。楽しいよ」
「ヨカッタ」
「紗羅さんのお嬢さんに会ったよ」
「ハーフの」
「可愛いね」
「ワタシもハーフ、だけどあのコは…」
「どうしたの?」
「なんでもない。シングルマザーのひとって、コドモをそだてるためならなんでもヤルってかんじで、ニガテ」
「私も」
そうかマリアのとこもこどもいないんだったっけ。だから気が合うのかな。マリアにだけは夫のことを話してある。私が夫を溺愛していたのを知っていたからこそ、仕事を与えてくれた。
母親になれた人というのは神様から子育てという素晴らしい仕事を与えられた幸運な人々であると私は思う。私のように子宝に恵まれない人は自分でやるべき仕事を探さなければならない。
楽でいいじゃない、自由でいいじゃないという声が聞こえてくるが、これがけっこう大変なのだ。
こどもがいる人といない人の間には深い谷がある。と感じているのは私だけだろうか。こどもがいる喜びや、逆にいるがうえの悲しみや不安を私が正確に理解することはできない。想像することはできても。反対に、こどもが産めなかった劣等感とか、寂しさつまらなさを理解してもらえるとは思っていない。
「もうイッパイのむ?」
マリアが提案してくれたが断って店を出た。じゃあまたと言って別れた。別れ際にマリアがぎゅっと抱きしめてくれた。こういうことができる人はなかなかいない。元気が出た。
三日後、ちび太がこの世を去った。こないだあげたおつまみがよくなかたんだろうか。何がいけなかったのでもない寿命ですと言われた。とてつもなく寂しい。ちび太の遺灰の入った小さな壺はグリーンの布で作ったポーチに入れた。
夫の遺灰の入った壺を包んでいるポーチは夫が良く着ていた紺色のパジャマの布で作ったものだ。お寺さんが気のすむまで持っていていいと言ってくださったので遺灰はずっとそばに置いている。そしていつも話しかけている。ポーチが二つになった。
バイトの日が何日か続いた。クリスマスシーズンで繁忙期だったから。入るのは、もう七回目か八回目。仕事は全部教えてもらったと思う。その日は雨が降っていてお客様もあまり来なかった。今日の売上目標にぜんぜん達していない。一着買おうかしら?なんて売り物の洋服を眺めていた。
「真央さん最近暗いね」
「わかります?愛猫が亡くなったんです」
「え?猫が死んじゃったの?」
「そんな、猫ふんじゃったみたいに言わないでください」
「ごめん。あたし動物嫌いなんだ」
カチンときた。
「そんなんでこどもちゃんと育てられるんですか?」
「うるせえなあ。あんたなんかに言われたくない。ウマズメのくせに」
頭がくらくらした。
「ウマズメっていつの時代ですか?」
「大人しそうな顔して酷いこと言うよ」
頭に血が上ってしまった。
「アメリカの方なんですか?紗羅さんの彼氏って」
「だからなんだってんだよ」
「日本で知り合ったんですか?」
「どこだっていいだろ、いちいちうるせーなー」
あーイライラする。
「私これ買います」
十万円の黒色のワンピースを台の上にバーンと乱暴にのせた。
「売らない」
「え?なんですって」
「あんたには売らないっていってんの!」
「嫉妬ですか?」
「いいかげんにしろ。今すぐ出ていけ。顔も見たくない!」
「出て行きません!」
「じゃあたしが出てく!」
紗羅は鞄をつかんで傘もささずに店を飛び出した。私はドアを開けて叫んだ。
「帰ってきなさい!勤務中ですよ」
紗羅は走って見えなくなった。
マリアに電話して事情を話した。もう一人でも店番できるでしょうから頑張ってと言われた。初めて一人で接客をした。少し緊張したがエキサイティングで興奮した。洋服を売るってこんなに楽しいんだ。たまたま沢山買ってくださったお客様がいて、売上目標を軽く達成してしまった。それでも黒色のワンピを買って帰った。喪中だったから。バイト代の倍の金額だった。
家でワンピを着てみる。鏡に老婆が映っていた。ひどい顔。私こんな顔で紗羅さんと喧嘩したんだ。鬼婆みたい。言い過ぎちゃったな。人とあんなに言い合ったのって学生時代以来かな。いや、飲食店でバイトしてた時も店長とやりあったっけ。私って喧嘩っ早い。よく大ちゃんに注意されたっけ。
紗羅さんに悪いことをしてしまった。今度会ったら謝ろう。
クリスマス。大輔の命日。本来であればお墓参りに行くべき日であるが、遺灰を私が持っているためお墓へ行く必要がない。夫の親戚からは早くお墓に入れろと文句を言われている。三年経ったら入れますから。でもまだ入れたくなかった。肌身離さず持っていたかった。
先日買った黒色のワンピを着て出勤した。紗羅は相変わらずいつものスーツだった。朝からずっと慌ただしくて休憩も別々に取った。プライベートな話をする余裕がないまま夜になった。
珍しく残業していると宇宙ちゃんが入って来た。
「マミィ」
「ダメだよ入ってきちゃ」
「だって寒いんだもん」
「いいじゃないですか。今日は」
「悪いわね。じゃあ大人しくしてて。こっちに座って」
紗羅は宇宙ちゃんをバックヤードへ連れて行った。バックヤードには私たちのコートと鞄が置いてあった。嫌な予感がした。私が本日最後のお客様を送り出してドアを閉めた時、裏でガチャンと何かが割れる音がした。まさか。紗羅と目が合った。
私が血相を変えてバックヤードへ行くと、トートバッグが床に落ちて、中から紺色のポーチが飛び出していた。それを拾おうとする宇宙。
「さわっちゃだめ!」
自分でも驚くくらい大きな声だった。宇宙はビクッとして泣き出してしまった。私は大輔を拾うために床にしゃがんだ。紗羅がきて、
「そら、なにした?」
「なにもしてない」
「カバンに触ったのか?」
「さわってない」
紗羅が宇宙の腕をひっぱって横面をバチーンとビンタした。
宇宙はぎゃあと言って、泣き喚いた。私も心が痛かった。壺が割れたショックとこどもが傷つけられるのを見た嫌悪感で吐き気がした。紗羅がまた手を上げようとしたので間に入った。
「やめて!」
「ごめん」
「いいの。謝らないで。骨壺なんか持ってた私が悪いの」
「骨壺?」
「主人なの。亡くなったの。毎日毎日ずうっと考えちゃって。死にたくなって。頭がおかしくなったからここへ来たの。笑えるでしょ」
「笑えないよ。…大変だったね」
大変だった。そう、私、大変だったの。とってもとっても大変だったの。ただ寝てるだけ、ただDVD観てるだけだったけどずっとずっと戦っていたの孤独と。今も孤独なの。ずっと孤独なの。死ぬまで孤独なの。きっと。
宇宙は泣き止んで、ごめんなさい、でも自然に落ちてきたの、本当なのと言った。
「そらちゃんは悪くないよ。正直に言ってくれてありがとう。きっと大ちゃん、夫がもうお墓に入りたいって言ってるんだと思う」
「ずっと一緒にいたの?」
「うん」
「羨ましい」
「え?」
「好きな人とずっと一緒にいられるなんて羨ましいって言ったの。あたしは少ししかいられなかったから」
「…そういう考え方もあるんだね」
私は、骨壺を抱きしめながら、やっぱりバイトをしてみて良かったと思った。こうして新しい知り合いができて、世界が広がった。大ちゃんも喜んでいると思う。
つづく
(この物語はフィクションです)
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