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2018年11月10日

恋愛小説「オレンジと青」(2)

   2




「は?休みたい?ダメダメ」

「なんで?いいじゃん!今まで三年間、年末年始以外休みなしでずっとやってきたんだし、あんたは産休育休入るんだし、私にだって休みくらいちょうだいよ」

「絶対ダメ!店休んだらどうなると思う?お客さん二度と来なくなっちゃうよ。そしたらあたしたち食いっぱぐれちゃう、マンションのローンも払えなくなっちゃう」

「でも…」

「はいはい、言い訳はいいから早く仕込み終わらせよう。時間ない」

 く〜自分ばっかり幸せになりやがって。私の幸せはどうなるんだよ。まったく。時間ない?私だってあと半年足らずで三十になっちゃう。時間ないよ!どーすんだよ!

 結局、村田さんにはフルタイムで働いてもらうことになった。店が忙しいうえに、くるみの欠勤が増えたから。明日香は葛藤しながらも『四百個限定』の貼紙を外した。

 定休日。洗濯と掃除をしてからゆっくりコーヒーを飲んだ。何気なくネットで『出会い』を検索してみると『婚活パーティー』の情報がたくさん出てきた。

 わー、こんなにたくさん。どうやって選んだらいいのかな。女性は無料?まじで?すごいな。医者限定?弁護士限定?年収一千万以上?うわーこわいな、男は金ってか。

 ネットを閉じてテレビをつける。たまたま神楽坂のお店特集をやっていた。

ムソウが紹介され始めた。あ、忘れてた!そうだ放送今日だった。慌てて録画する。もう何度も取材を受けていて、いけないことだがだんだん有難味が薄れてきてしまった。

 最初の頃は赤面するくらい緊張して嬉しくて興奮したのだが最近は自然体でテレビに映っている。映っていると言っても明日香は作業している姿がチラッと映ればいい方で、ほとんどくるみがレポーターとか芸能人と話している。

くるみはものすごく感じがよく、小柄で可愛らしいのでテレビ映りがとてもいい。くるみ目当てのお客様も多い。

 どうせ私なんか。デカくて可愛くない行き遅れのキリンさんだよ。キリンならまだしもこないだ電柱と間違われて犬におしっこをひっかけられそうになった。あれはショックだった。

 ムソウの紹介が終わり、明日香が録画を止めようとしたその時。ホテルと本屋を一体化した珍しい宿泊施設『ヨムネル』の映像が流れ始めた。

 明日香は手を止め画面に食いついていた。ホテルのオーナーの男性。四十代前半?眼鏡をかけていて落ち着いた雰囲気。でもどこか少年ぽさを湛えていて…素敵。まるでフミヤ君みたい。

 フミヤ君とは元チェッカーズの藤井フミヤのことである。

 あんな素敵な人が神楽坂にいたの?知らなかった。しかもあのホテル、バルもあるんだ。ちょっと行ってみようかな?
急いでヨムネルを検索するとムソウから歩いて十分くらい。神楽坂というより飯田橋に近いことがわかった。

 なんだ、こんな近くにあったんだ。番組が終わったので、録画を再生する。よく見たら北欧調の内装といい、家具の雰囲気といい、明日香の好みにもの凄く合っていた。これは何かのご縁かも知れない。

『オーナーの飛鳥健さん(49)』とテロップに出ている。アスカさん。ドキンと心臓が大きな音を立てた。なんだろうこの胸のトキメキ。ずっと忘れていた感覚。

飛鳥と明日香。同じ名前。

これだ!というお気に入りのマグカップを見つけた時以来。いや、素敵な俳優さんを発見した時かな?どうでもいいや。
一分で着替えて、慌てて化粧をした。

アスカケン?て言うのかな?独身かな?結婚してるよね、もちろん。そうだよきっと彼女だっているよ。会ってどうするの?別に会うくらいいいんじゃない?

なんてうだうだ考えながら化粧をしていたらチークがやたら濃くなり、おてもやんになってしまった。

化粧をやり直していたらあっと言う間に三十分経っていた。お昼ご飯どうしよ。まぁとりあえず一度ヨムネルを偵察に行ってみよう。




chosho2.jpeg




小さなホテルの前。ここがそうなんだ。思ってた通り近い。外観もシックでお洒落。あんまり高くないのもいい。外からジロジロ見ていたら急に雨が降ってきた。傘を持ってこなかった。ええい、思い切って入ってしまえ。

明日香はホテルのドアを開けた。こういうのをモダンシックというのかしら。テレビで見るより狭く感じたものの小奇麗で清潔な感じがした。

理由もなく「好き」と思えた。勘違いかもしれないがムソウとちょっと雰囲気が似ている気がした。

「いらっしゃいませ」

 受付の男性に声をかけられびくっとした。男性は明日香と同じくらい身長が高かった。この人はアスカさんじゃない。
「あの、ランチって食べられるところありますか?」

「はい。サンドイッチなど軽いものでしたら奥のバルにございます。ご案内しましょうか?」

「あ、お願い、できますか?」

「どうぞこちらへ」

 ピシッとスーツを着た男性は明日香をスマートにエスコートしてくれた。

 バルと呼ばれている場所には七つだけカウンター席があった。ランチメニューはサンドイッチとおにぎりとフォーが用意されていた。面白い!

 一つだけ空いていた席に座るとレモン水の入ったグラスが出された。若い女性のバーテンダーがにこやかに「どちらになさいますか」と聞いてきた。綺麗な子だなぁ。なんか急に落ち込んできた。

 私、なんで来ちゃったんだろう。美しい肌に上手に化粧している若い女性を前に後悔し始める明日香であった。

 いいや。ランチを食べたらすぐ帰ろう。

「フォーをお願いします」

「かしこまりました。パクチーは入っていても大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

 笑顔はさらに美しい。はぁとため息が出る。バルの中を見まわすと、オーナーのこだわりが所々に感じられる。シンプルなのになんでこんなにお洒落なんだろう。

 運ばれて来たフォーを食べたら感動するほど美味しかった。びっくり。ベトナムに行ったことはなかったが、本場の味って感じがした。さっぱりしているのにコクがある。

 自分でもこんなに美味しいフォーが作れたらいいなぁなんて考えながらゆっくり味わった。

 そうだ、本が置いてあるってテレビで言ってたっけ。さっき歩いてくる途中に本屋さんぽい場所があったぞ。あそこも見てみよう。

 美味しいものを食べるとテンションが上がる。素直な女性である。黙っていればモデルか女優に間違われるほどのプロポーション。 

口下手でよくコミュショウと誤解されるが本を読むのは大好き。だから想像力やボキャブラリーは乏しくない。はず。妹に比べれば。しかしその妹に先を越された。

 ゆっくり食べて汁を飲み干してから本屋へ移動した。

 新しい本もあれば古い本もあったし外国の本もあった色が綺麗だったり大きさも統一されていた。これもオーナーのこだわりなのだろう。

 明日香の好きな作家の本が半分以上あってドキドキしてきた。もしかして、趣味が一緒なのかしら?村上龍の『自殺よりはセックス』を手に取る。村上流女性論が書かれたエッセイ。これ読みたい。

 先ほど受付にいた男性が近づいてきて、

「こちらにある本はすべてお部屋で読むことができます。一時間二千円となっておりますがいかがですか?」

 ニッコリ白い歯を見せられたら断る理由などなかった。

「二時間でお願いします」

「かしこまりました。ご案内します」

 一緒にエレベーターに乗る。ボタンは六階まであった。男性は『三』のボタンを押した。胸に『高橋』という名札をつけている。ふうん高橋さんていうんだ。そだ勇気を出して聞いてみよう。

「あの、アスカさんていう方は?」

「オーナーですか?今は不在です。何か?」

「いえ、何でもありません。テレビで見て、ちょっと」

「ああ、テレビをご覧になって来ていただいたのですね。ありがとうございます」

三階の三○三号室に案内された。

「ごゆっくりどうぞ」

「ありがとうございます」

 へー、かわいい。部屋全体がスウェーデンかフィンランドにワープしちゃったみたい。ペパーミントとグレーを基調としたデザイン。家具はすべて木材で作られている。

 明日香の身長ではギリギリ足が出ないくらいの小さなベッド。丸いテーブル。テレビや時計などデジタルなものは置いていない。唯一固定電話が置いてあるくらいだ。

 気に入った。いい匂いがする。森の中にいるみたいだ。ずーっとここにいたい。本を読もうと思ったがいつの間にかベッドの上でウトウトしてしまった。電話のベルで起こされる。

「木村様、お時間ですがどうされますか?」

「えんちょう、おねがいします」

 ヨダレをふきながら答えた。また眠ってしまう。一時間経ってまたベルで起こされた。

「えんちょうおねがいします」

 結局四時間も滞在してしまった。外は夕暮れてきて、明日香の好きな時間帯に近づいていた。雨もすっかり止んでいる。

 受付でお金を払っているとエントランスのドアが開いてフワッと甘い香りがした。彼だ。直感でわかった。

 明日香が振り向くと飛鳥が背筋を伸ばしスッと立っていた。

「いらっしゃいませ」

 明日香の肩くらいの身長だった。顔はフミヤに似ていたし、声も似ていた。とてもお洒落なジャケットを着ていてものすごく感じが良い。明日香はしばらく彼に釘付けになり動けなかった。

「気に入っていただけましたか?」

 かっこいい。かっこ良すぎる。絶対結婚しているし、彼女もいるわこの人。だって幸せオーラと色気がすごいもの。出会えた喜びと同じくらい残念な気持ちが胸を支配した。

 はっきり聞きたい。でも聞けない。心の中はピンクと紫の感情が渦巻いていた。
  




つづく

※この物語はフィクションです。

コピーライトマーク齋藤なつ










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