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2018年11月09日

恋愛小説「オレンジと青」(1)

登場人物


木村明日香(29)パン屋

飛鳥健(49)ホテル経営者

高橋(38)飛鳥の部下

佐藤くるみ(30)パン屋、明日香の相方

木村春香(26)明日香の妹

村田(43)パン屋のスタッフ







   1

 秋。マンションのベランダ。明日香はひとり佇んでいた。遠くでオレンジ色の地平線と濃い青色の空がサンドイッチ状態になっている。明日香は恍惚とした表情でそれを眺めていた。この時間の空が大好きだ。

 昨夜、妹の春香が婚約を発表した。発表と言っても芸能人ではないのでただ単純に姉であり同居人でもある姉に報告しただけのことなのだが、姉明日香が受けた衝撃は日本一の大女優が一般の冴えない男性と婚約したくらい大きなものだった。

 三歳年下の妹に先を越された。自分はずっと優秀で妹をリードしてきたのに。ものすごい屈辱。明日香は今、猛烈に結婚がしたかった。その前に恋がしたかった。

 親友のくるみとパン屋を初めてはや三年。ようやく軌道に乗り出した昨今。恋愛なんてする暇がまったくなかった。しかし、くるみの方は学生時代から付き合っていた彼氏と卒業とほぼ同時に結婚し、こどもまでいる。

 くるみが産休育休中、フォローしたのは他でもない明日香だ。だってたった二人で切り盛りしている小さなパン屋だもの。くるみの幸せに少なからず貢献している自負があった。

 春香にしても、彼氏と会いやすいからという理由で仕方なく同居してあげていた。妹の幸せにもひと肌脱いでいると思っている。

 それなのに、くるみも春香も「はやく明日香も幸せになりな」だって。ほんと悔しい。

私が結婚できない、恋愛できない理由はたくさんある。

 まず、高すぎるこの身長。175センチ。ヒールを履けば軽く180センチを超える。大抵の男には負けない。そしてパン屋ならではの早寝早起きの生活。夜の飲み会なんて行ったことないし、休みの日に一人で飲みに行くこともない。出会うチャンスがないのだ。

 ずるいずるいみんなずるい。私を踏み台にしてジャンプアップしやがって。でも見て、この夕焼け空の美しいことといったら。もうすべて許そう。すべて受け入れよう。そんな清々しい気持ちになる。

 いつか、好きになった人とこの夕焼け空を眺めることができたなら。そんな幸せな瞬間が私にやってくるのだろうか。その日は永遠に来ないような気がした。

 あと半年足らずで私は三十路を迎える。三十までに恋がしたい。

 明日香の好きな時間が終わってしまった。かじりかけのメロンパンを全部食べて牛乳を飲んだ。

さて、明日は仕事だ。明日も美味しいパンをたくさん作ってたくさん売ろう。




melpn.jpeg




 「二人目ができたみたい」。朝五時。店に入るや否やくるみが告白してきた。まじで?

「いやー、ごめんごめん。どうしても二人目欲しくてさ。がんばっちゃった」

「お、めでと」

「ありがと。て、まだ生まれてないけど」

「じゃあ何て言えばいいの」

「よかったね、とか」

「ぜんぜんよくねえよ。店どーすんだよ」

「パートさん雇おう」

「大丈夫か?パートで?」

「私、いい人探すから。ね、機嫌直して」

「ふん」

「かわいくないなー」

「どーせ、私はかわいくないですよーだ」

「さ、仕込み仕込み。頼むよ!」

 明日香はブスくれながらもサクサクと作業していく。天然酵母のパン屋『ムソウ』は雑誌やテレビでたびたび紹介されるほどの人気店に成長した。毎日焼くパンはおよそ六百個だが、閉店よりずっと前の午後三時に全部売り切れてしまうこともしばしば。

 そんな日は早く家に帰れるのかといえば、そうでもない。次の日の仕込みの準備があるため結局夜の八時まで店にいることが多かった。しかも、主に接客担当のくるみは先に帰り、製造担当の明日香は店を閉めるまで残ってやっていた。

 相方は夫もこどももいる主婦だから仕方がないと諦めている。しかし若干ではあるがくるみの方が年収が高い。くるみが言いだしっぺで明日香は誘われた方だから。

 資本金もくるみの方が多く出した。こどもも養わなければならない。自分の方が少なくて当然と思っている。
実はくるみちゃんと明日香ちゃん、かなり儲かっている。大きな声では言えないが毎月売上三百万を軽く超えているのだ。

二人とも店の近くの中古マンションを購入したばかり。もちろんローンで。

 このまま天然酵母のパンブームが続いてくれればいいなぁと思いながら、日々せっせとパンを焼いている。

春香は婚約。くるみは二人目を妊娠して残された私はまた一人で孤軍奮闘せねばならないのか。はぁ、とため息が出る。

 くるみはつわりのため、パンの製造にはほとんど関われなくなってしまった。酵母の匂いが気持ち悪いんだと。早くパートさん連れてきてよぉ。私ひとりじゃ六百個は無理だよぉ。

 仕方なく貼紙をした『誠に勝手ながら一日四百個限定とさせていただきます』。ほんとに勝手だな。お客さん減ったらどうしよ。

 明日香の心配をよそに、ムソウ人気は継続し、連日行列ができることもしばしばとなってしまった。ひぃぃ。馬車馬の様に働く明日香。神様助けて。


 ある日の休憩時間。明日香とくるみがコーヒーを飲んでいると一人の中年女性がやってきた。

「すみません、トキタさんの紹介でパートの面接にきました」

 くるみが素早く対応した。

「あー、お待ちしてました。佐藤です」

「村田です!はじめまして!」

 おっとりとしてはいるが元気なおばちゃんである。見た感じ、こどもが二人くらいいて、下の子がもう中学生で手が離れたから来ましたっていう雰囲気。と明日香は想像した。

 実際にはお子さんはいなくてご主人と二人暮らしだそうだ。扶養の範囲内で働いてもいいし、仕事が合えばフルタイムでもいいとのこと。

「接客得意なんですよね?以前はどこで働いていましたか?」

「最近まで喫茶店で働いていました。パンを焼いたこともあります」

「そうですか!主にレジをお願いしたいのですが、機械大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です」

 くるみがテキパキと質問して、村田がそれにおっとり答えるのが何回か続いた。

「明日香なんかある?」

急にふられても困る。

「…ご趣味は何ですか?」

「マラソンです」

 テンションが上がるくるみ。

「え?あの、東京マラソンとか走っちゃう感じですか?」

「はい!東京マラソン去年走りました!」

「すごいですね!じゃあ体力には自信ありなんですね」

 くるみは気に入ったらしい。さっそく明日から来てもらうことになった。

「じゃあ、開店が十時なので十時十分前には来てください」

「はい、わかりました。ありがとうございます。失礼します」




panono2.jpeg




 次の日も忙しかったが、村田さんが来てくれたおかげで三時前に全部売り切った。これで安心して営業できるようになればいいが。くるみは臨月まで頑張ると言っていたがどうなんだろう。もし万が一何かあったら大変だ。なるべく休み休み働いてもらうことにしよう。

 しかし人の心配をしている場合ではない。婚活というか恋活せねば。でもどうやって?家に帰ってから妹に相談した。

「ねぇ、彼氏ってどうやって作るんだったっけ?」

 春香は明日香が作った麻婆豆腐をほおばりながらめんどくさそうに答える。

「からい!でもうまい!ん〜そうねぇ。一人で旅行でもしてみたら?」

「そんな時間ない。店休めないし」

「休めばいいじゃん」

「いやだ。だって毎日買いに来るの楽しみにしてるお客さんいっぱいいる」

「その人たちを幸せにする代わりに自分が幸せになれなくってもいいわけ?」

「…よくない」

「でしょ。休んじゃえ休んじゃえ」

「でも、酵母が…」

「でた。結婚できない女のいいわけ。デモデモ星人でた。優先順位をつけなきゃ。今は何が一番大事なの?いつやるの?今でしょ?」

 食後の洗い物をしながらしばし考える。旅ねぇ。旅は出会いがつきものっていうよね。

 実際、明日香の知り合いにもそういう女性がいた。たまたま一人で出かけたフランスのパリで運命の男性と出会い、遠距離恋愛し、結婚したという小説の主人公みたいな女子が。でも彼女小柄で愛嬌のあるくるみみたいなタイプだったし。

自分にもそんなロマンチックなご縁があるのだろうか。わからない。想像もつかない。丁寧に食器をふきながら溜息をついた。





つづく

※この物語はフィクションです。

コピーライトマーク齋藤なつ









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