多くに見られる日本人の特徴として
どんなことにも真面目にコツコツと取り組むという一面があると思います。
そうした真面目さがあることによって
相手に対していつもと変わらない信頼感や安心感を届けられるのも確かです。
そこで生き方に軸がある真面目さは、お互いの信頼関係を生み出す
ポジティブな印象を与えていることにもなりますね。
でもこれが人生を変えていくときには、そうした真面目さがあることによって
逆効果になっていることがあります。
真面目であるということは、そこにある信念を守り続けている、という一面も
同時に持ち会わせていることになります。
自分はこういう人間だから、この生き方を守り続けなければいけない、という
固定概念や既成概念も普段の関係性の中で
当たり前になっていくことで強化されているものがあります。
人生の転機において、悩み事や困りごとがあったときにも
そうした自分らしさからくる生き方を貫こうとすることで
逆に視野が狭くなって状況を難しくしていることもあります。
自分の生き方に絶対的な自信を持つことで、変わらない自分を貫くのもいいけれど
それがネックになることで、生き方を難しくしているところがあるのではないか、と
見つめ直すことも大切になってきます。
人生の理想を描いていくときに、自分はこうあるべき、というものが多いほど
その固定概念が見落としている視点を生んでいるものがあるのではないか、と内省していくことが
人生の問題を柔軟にすり抜けていくためにも大切になってきます!?
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コメントいただきありがとうございます!
まさに、惑うよりも、自信を持つという生き方でありたいですよね。
「四十而不惑」 部分を思い出しました。
四十にして惑わず と解釈されていますが
そもそもの不惑は感じの間違いで、正しくは「不或」だとか。
その根拠はこの時代に「惑」の感じはなかったからとされます。
「不或」は区切らないという意味。
このブログで詳しく書かれています。
http://kawaritai.jp/potential-3/
これを読むと、40代は惑うことよりソコソコ自信が付き、決め打ちでガンガンやる事が多い気がします。